民族自決権をもとめたウタリ協会
平成7(1995)年3月、アイヌ民族が昭和59(1984)年以来、10年以上にわたって主張し続けてきたアイヌ新法を検討するための協議体として、官房長官の諮問機関「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「ウタリ有識者懇」)が設立された。
アイヌ新法に求めるウタリ協会の要求は、昭和59(1984)年の最初の新法要求の時点では、①基本的人権、②参政権、③経済的自立権の確立、④アイヌ民族が自主的に運用できる民族自立化基金の創設だった。この後、国連での先住民族作業部会への参加、世界の先住民族との交流を通して先住民族固有の権利として、⑤土地と資源の権利、⑥自己決定権が加わった。
文化や教育の要求もあったが、これらは①③⑥に含まれるものだった。これら先住民族固有の要求を総称して「自決権」と呼ぶことにしよう。
これまで我が国のアイヌ政策は、福祉領域の課題として把握されてきたが、ウタリ協会の要求は先住民族としての自決権に基づく要求で、従来の法的・制度的枠組みを大きく超えるものだった。
平成5(1993)年5月に開かれた北海道ウタリ協会総会で自民党の渡辺省一衆議院議員は、「アイヌ新法問題で政府はアイヌの代表から2回、北大教授や関係者から話を聞いている。領土問題や民族問題を通して話をするのは無理。文化的、福祉的な面で少しずつ増やすことが本来の趣旨に合致するのでは、との意見が多いようだ」と政権内部の議論を紹介し、新法の制定は時間がかかるとの見方を示していた①。
しかし、平成7(1995)年3月にウタリ有識者懇が設置されると、わずか2年後の平成9(1997)年5月にアイヌ新法が「アイヌ文化振興法」として成立する。どのような経緯があったのか。
①北海道ウタリ協会機関誌『先駆者の集い』(第59号)平成5年7月1日
与党となった社会党主導の下で
この間の状況を、アイヌ民族として初めての国会議員となった萱野茂氏の政策秘書であった滝口亘氏が自費出版した『アイヌ文化振興法成立私史』が伝えている。滝口氏は昭和12(1937)年にオホーツク小清水に生まれ、農民運動から社会党に入り、専従職員として国民運動局長、政務担当執行委員などを務めた人物である①。
余談だが私は20代の頃、この滝口氏に世話になったことがある。今回この連載を書くための資料収集で同氏の名前を見つけて感慨深かった。多くの人たちがアイヌの人たちに抱くイメージそのままの風貌をもった方で、当時からそういう方なのだろうと思っていた。同書の奥付の著者略歴で滝口氏はわざわざ両親の出身地を山形・埼玉と書いているのは、私以外にもそう思う人が多かったということなのであろう。
さて、滝口氏によれば、棚晒し状態であったアイヌ新法が政府の検討のテーブルに乗ることになったのは、平成6(1994)年6月の「社会党が積年の政敵である自民党と連立政権を組む衝撃的な事件」が契機であったという。
政府与党のなかでも新法制定に意欲を燃やしたのが社会党の池端清一氏であった。池端氏は北教組書記長から衆議院議員になった人物である。昭和51(1976)年から代議士を務めるベテランで、新政権登場の機をつかまえ、幅広い人脈を活かして与党アイヌプロジェクトチームの設立に働きかけたという。
平成6(1994)年12月1日に初めての会合を迎えたこのチームでは、高橋辰夫を座長とする自民党は「行政措置限界説」を唱えて新法に対して否定的態度に終始した。憲法問題が新法制定に立ちはだかったが、池端氏は「憲法問題があることは承知しているが、それは盛り込まなければ済むこと」といって憲法に触れない範囲での法案制定に意欲を燃やした。
しかし、既存制度の拡充で済むと主張する自民党と激しく対立し、平成7(1995)年度予算を念頭にしたプロジェクトチームとしての大綱では、新法制定はうたわれず、「政府の検討をさらに推進強化する」との文言にとどまった。
12月20日、社会党は五十嵐公三官房長官に直訴して一点突破の強硬策に出る。同じ北海道社会党で個人としてもアイヌの実情を知る五十嵐長官であったが、「自民党と再協議してほしい」といって取り合わなかった。
ところが翌21日、自民党側座長の高橋辰夫氏が急に態度を軟化させたという。そして自民党座長高橋辰夫、社会党座長池端清一、新党さきがけ座長鳩山由紀夫各氏の連名で、新法制定を前提にした有識者懇談会の設置を求める申し入れを内閣に行う。滝口氏は「高橋の急速な軟化の裏には、官邸によるさまざまな働きが予想されるが、私には詳細は不明である」と書いている。
①この節は滝口亘『アイヌ文化振興法成立私史-政策秘書のノートから』(2011)を根拠に記述
ウタリ有識者懇メンバー
こうして社会党の主導により平成7(1995)年3月20日に第1回会議を開催したウタリ有識者懇は次のメンバーで設立された。(年齢は当時)
- 伊藤正己 75歳・東京大学名誉教授・憲法学
- 佐々木高明 65歳・国立民族学博物館館長・民俗学
- 中村睦男 55歳・北海道大学法学部教授・憲法学
- 原ひろ子 60歳・お茶の水女子大学女性文化研究センター教授
- 山内昌之 47歳・東京大学教養学部教授・中東中央アジア研究
- 横路孝弘 53歳・北海道知事(平成7(1995)年5月に堀達也知事に交替)
- 司馬遼太郎 71歳・作家(平成8(1996)年2月に逝去)①
滝口氏によれば、懇談会の人選は社会党がウタリ協会と協議して一次リストを作成したが、司馬遼太郎氏の参加は官邸によるものだという①。残念ながら途中で亡くなられたため、どのような役割が期待されていたかは定かでない。アイヌ民族の自決権を求めた法整備の要求なのにメンバーにはアイヌ民族の代表が一人もいない。このことについて内政審議会は、「利害関係者は入らない」と答えた①。
憲法学者が2人なのは、アイヌ民族の要求と憲法との整合性が問題になるからであろう。伊藤氏は、最高裁判事を務めたこともある我が国憲法学の最高権威である。一方で実務的整理は北大法学部教授の中村睦男氏が中心となって行われたはずだ。中村教授には『アイヌ民族法制と憲法』(2018・北海道大学出版会)という著作がある。
この時北大法学部助教授で、昭和59年に横路北海道知事の諮問機関として設置された「ウタリ問題懇話会・新法問題分科会」の委員だった常本照樹氏は、懇談会メンバーではないものの、裏方として中村睦男氏を支えていたことが同書からも伺える。なお同懇話会新法問題分科会の座長は中村教授だった。
また東大の山内昌之教授は、イスラム史・中東史の専門家だが、札幌生まれで小樽で育ちで北大文学部史学科を卒業した③。大学時代は新左翼活動家として名を馳せたと同時期に北大に通っていた方から聞いた。中東についての知見よりも北海道の事情に通じていることからの選任だろう。
伊藤正己教授に司馬遼太郎氏———これらメンバーを見るとウタリ有識者懇には、自決権に踏み込んだ大胆な提起が期待されていたように思われる。
①『ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会報告書』(平成8年4月)別紙2、年齢は『先駆者の集い』(第66号)2pより
②滝口亘『アイヌ文化振興法成立私史-政策秘書のノートから』(2011)
③北海道新聞朝刊2001/12/29「<ひと2001>山内昌之さん*第5回司馬遼太郎賞を受ける東大教授」・山内昌之公式サイト
ウタリ協会の要望
平成7(1995)年5月17日、ウタリ有識者懇の第2回会議に野村義一ウタリ協会理事長が招かれ、初めての当事者ヒアリングが行われた。冒頭野村理事長は、ウタリ協会の概要紹介をした後、「アイヌが先住民族かどうかについて」との項目で
「私どもとしては、アイヌが『日本人』となったのは、アイヌの社会が和人の法制度の下に組み込まれたときであり、『アイヌの人びとは本来、日本国民である』というのは歴史的な検討の不足した乱暴な話ではないかと感じております」と断った上で、国連先住民族作業部会の議論をふまえ、①先住性、②非支配性、③異文化性と民族としてのアイデンティティの保持の三つをあげて「国際的に一般化している基準に照らせば、アイヌ民族は、当然に先住民族と断言できるものであると考えております」と主張した①。
そして「アイヌ新法を要望した基本的な考え方」として、「アイヌ民族の一人ひとりは、各々、民族的、歴史的、人種的な要素などにより依拠しながら自らのアイデンティティを今の社会で確立したいと感じています。アイヌ新法制定の目的の基本的なものは、民族的な誇りを持ち、活力ある生活を営むために必要なしっかりとしたバックアップ体制の確保にあると考えます」と述べた。
さらに新法の具体的な内容としては次の5項目を挙げた。
- ①アイヌ民族が先住民族であることの位置づけを明らかにするために、これまでの和人とアイヌ民族の歴史的な関わりを踏まえ、アイヌが先住民族であることと先住民族の権利を持つことを宣言すること。
- ②アイヌは、容貌、外見などによる差別、いわゆる人種的な差別を受けてきたことから人権擁護活動の教化
- ③アイヌ語や古式舞踊などの文化の継承、保存並びに普及に関して国の特別な保護が必要なことからアイヌ文化の振興。アイヌ文化を総合的に研究する研究施設、一般の人びとがアイヌ文化に親しむことができる総合的な施設の設置。
- ④先住民族であるアイヌ民族が生活の場としてきた土地や資源などを不当に奪われ、文化を否定され、アイヌとして生まれたがゆえに理由もなく差別され、貧困に苦しみ、学歴などがないことから日雇いなどの不安定な職を得ることができない同胞が多いという現状に鑑み、アイヌ民族に対する国の責任に基づいた真の意味での自立化基金の設置。
- ⑤アイヌ民族が参加する、差別の問題、文化の問題、経済的自立の問題などを濃密に、継続的に検討する国の審議機関の設置。
野村理事長はこのように要望を列挙した後に、補足的に国会や地方議会にアイヌ民族の特別議席を「大変難しいことは私も承知しております。しかし、どうか皆さん、少数者の意見を政治や行政において、なんらかの形で反映していただくよう考えていただきたい」と求めた。
冒頭で示したアイヌ民族の当初要求のうち、②参政権、⑤土地と資源の権利、⑥自己決定権については、憲法との関わりで取り下げられたかたちだが、それでもアイヌが先住民族であることを明記した上で、固有の権利は捨てていないことを宣言のかたちで示すこと、アイヌ民族の経済的な自立に向け国が責任を持ち、アイヌ民族の意見に基づいて運用される自立化基金の設置を強く求めたのである。
①北海道ウタリ協会機関誌『先駆者の集い』(第67号)平成7年8月1日・10-13pより以下同
「先住民族」を巡って
しかし、平成8(1996)年4月1日に梶山官房長官に提出されたウタリ有識者懇の報告書は、野村理事長の要望から遠いものだった。
最大の論点であるアイヌの先住民族の認定はどうなったか。ウタリ有識者懇設置の約1年前、平成6(1994)年11月24日の参議院内閣委員会で、五十嵐広三官房長官と萱野茂参議院議員との間で次の質疑応答が交わされている①。
アイヌ民族を先住民族として求めるように萱野議員が言うと、五十嵐官房長官は
「御質問の点でございますが、アイヌの方々が北海道に先住していたということは既に学説上の通説でございまして、また先ほどのお話にもございました北海道旧土人保護法の制定自体が北海道に土着する民族としてのアイヌの方々の存在を示しているものであろうというふうに思うところであります。しかし、いわゆる先住民族の定義につきましては、先住権との関係もございまして国際的にもまだ明確な定義がございませんで、国連の関係機関でも議論が続けられている難問でありますことは御承知のとおりでございます」
と答えている。萱野議員が重ねて追及すると五十嵐房長官は、
「いわゆる先住民族の定義が明らかになっていないなど結論に至っていないところであります。また、国際的にも現在、国連人権委員会を中心に議論を重ねているところでありますが、これも結論を出す状況にはなっていないようであります」
と先住民族認定を湾曲に拒否した。すなわち、アイヌ民族が自決権の付与される先住民族であるかどうかは、国際的に先住民族の定義が確立されていない以上、決定することはできないとするのが政府の立場であり、社会党出身でアイヌ民族とも交遊の深い五十嵐氏をしてもこう答えるのが精一杯だったのである。
①国会会議録検索システム>第131回国会 参議院 内閣委員会 第7号 平成6年11月24日 より以下同
民族自決権を否定
国会答弁から2年、11回にわたるウタリ有識者懇談会が開催された。ウタリ協会野村理事長をはじめ、民族学、歴史学等の専門家からのヒアリング、白老・平取などでの現地視察を積み重ねた。
これらを踏まえた検討の成果として、最終報告書ではアイヌの人びとの先住性について「少なくとも中世末期以降の歴史の中でみると、学問的にみても、アイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけ我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないと考えられる」と認めた①。
そして民族性についても「我が国におけるアイヌの人々は引き続き民族としての独自性を保っているとみるべきであり、近い将来においてもそれが失われると見通すことはできない」と認めた②。
しかし、両方を合わせた「先住民族」については一言も無い。そればかりか、報告書は、「国連等における議論の動向」について触れた節で「先住民族の権利に関する国連宣言」に関して次のように言及している。
現在、国連の人権委員会は、その下に設置された作業部会において「先住民族の権利に関する国連宣言案」を検討しているが、議論は緒についたばかりであり、その動向を見通せる段階にはなっていない。特に、これまで各国政府間の意見交換の中で先住民の定義問題、同宣言案に規定されている集団的権利と既存の個人の人権との整合性、自決権の取扱い等は厳しい対立をはらんだ議論となっている。今後もこの議論を見守っていく必要はあると考えられるが、我が国におけるアイヌの人々に係る新たな施策の展開については、我が国の実情にあった判断をしていく必要がある。
その場合、我が国からの分離・独立等政治的地位の決定にかかわる自決権や、北海道の土地、資源等の返還、補償等にかかわる自決権という問題を、我が国におけるアイヌの人々に係る新たな施策の展開の某礎に置くことはできないものと考える。③
国連議論は見守る必要があるものの、我が国のアイヌ政策は民族自決権を基礎に置くことはできないと明言したのである。自決権が認められない以上、たとえアイヌの人びとが「先住民」や「民族」であったとしても、法的地位としての「先住民族」たりえないということがウタリ有識者懇の結論だった。
こうした考えに基づいて同懇談会が提言した「新しい施策の基本的考え方」は、①アイヌに関する総合的かつ実践的な研究の推進、②アイヌ語をも含むアイヌ文化の振興、③伝統的生活空間の再生、④理解の促進、と限定的なものとなった。
①『ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会報告書』(平成8年4月)2p ②同2-3p ③同6p
