北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興⑤

民族自決権をもとめたウタリ協会平成7(1995)年3月、アイヌ民族が昭和59(1984)年以来、10年以上にわたって主張し続けてきたアイヌ新法を検討するための協議体として、官房長官の諮問機関「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「ウタリ有識者懇」)が設立された。アイヌ新法に求めるウタリ協会の要求は、昭和59(1984)年の最初の新法要求の時点では、①基本的人権、②参政権、③経済的自立権の確立、④アイヌ民族が自主的に運用できる民族自立化基金の創設だった。この後、国連での先住民族作業部会へ……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興④

野村理事長の国連演説平成4(1992)年12月10日、翌年の国連「国際先住民年」の開幕式典として、世界の先住民族の代表18人・2団体がニューヨークの国連本部で演説を行った①。アイヌ民族の野村義一理事長は11番目に登壇する。その演説内容の前半であるアイヌ民族が置かれた現状と歴史認識については、前回に紹介した「アイヌ新法案前文」と重なるので、ここでは世界に向けたアピールである最終段を引用する。アイヌ民族は、今日国連で議論されているあらゆる先住民族の権利を、話し合いを通して日本政府に要求するつもりでお……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興③

アイヌ新法の制定を目指して令和元(2019)年のアイヌ施策推進法は平成9(1997)年成立のアイヌ文化振興法を置き換えるものであった。さらにアイヌ文化振興法は明治32(1899)年の旧土人保護法を廃案にした上で成立した。現代のアイヌ復興運動は、アイヌ施策推進法とアイヌ文化振興法の二つを軸に展開したといえる。さらに、これらの源流をたどれば、昭和59(1984)年5月27日に当時の北海道ウタリ協会総会で承認された「アイヌ新法案」に行きつく。旧土人保護法に代わるアイヌ新法を求める動きは昭和40(196……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興 ②

第一次安倍内閣の失墜前節で平成20(2008)年のG8サミットの会場として洞爺湖が選ばれたのは、国際テロへの強い警戒からであると指摘したが、当時の政権には、日本で開催されるこのサミットに対して低迷する支持率の浮上のきっかけにしたいとの強い思いがあった。平成18(2006)年9月、徹底した改革路線で高い人気を誇った小泉純一郎首相が自民党総裁の任期満了により退任すると、小泉内閣で官房長官を務めていた安倍晋三氏が総裁選を勝ち抜き、第90代内閣総理大臣となった。52歳の首相は戦後最年少で、内閣支持率68……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興 ①

なぜ北海道開拓は〝不祥事〟となったのか北海道博物館は、石森秀三氏を館長として平成27(2015)年4月に開館した。副館長は道からの出向者で事務方の関下祐二氏。開拓記念館時代に設けられていた学芸部門のトップである学芸副館長は欠員のままスタートするが、平成31(2019)年に元アイヌ民族研究センター研究員であった小川正人氏がその職に就く①。館長の石森氏は令和7(2025)年3月に退任するまで館長を務めた。平成21(2009)年の北海道文化審議会の答申から始まった北海道博物館の開館に至る道のりは、北海……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

北海道開拓記念館から北海道博物館へ ④

展示シナリオの検討平成21(2009)年の北海道文化財審議会の答申から始まった北海道博物館開設事業は、平成24(2012)年3月の「北海道博物館設置プラン検討委員会」による答申を受けて、実施設計に移っていく。この間の経過は、北海道博物館が平成29(2017)年3月31日に発行した『北海道博物館要覧2015』に収録された「別添資料 北海道博物館の開館準備に関わる事業」(以下「別添資料」)に詳しく記載されている。以下の記述は原則として同書に拠ったものである。開設事業は、開拓記念館の建物の改修事業と展……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

北海道開拓記念館から北海道博物館へ③

北海道博物館基本計画平成21(2009)年8月、北海道文化審議会が「北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について」との答申を高橋知事に提出すると、同年10月、北海道は環境生活部道民活動文化振興課に「北海道ミュージアム(仮称)基本計画検討委員会」を設けた。そして平成22(2010)年5月、道は「北海道博物館基本計画」の素案を公表。パブリックコメントを経て同年10月に成案となった。同計画では、開拓記念館のリニューアルの基本理念として次を掲げた①。◇日本列島の北辺にあって、北東アジアと……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

北海道開拓記念館から北海道博物館へ②

平成19年知事選での高橋はるみ候補の公約開拓記念館の北海道博物館への改編は、高橋はるみ北海道知事の三期目の選挙公約だった。平成19年4月に行われた第16回統一地方選挙での知事選に立候補を表明した高橋はるみ知事は3月9日に記者会見を開き、「【私の政策】新生北海道・第2章〜道民はみんな家族、子どもたちに夢を、そして郷土に活力を!〜」と題した168項目からなる選挙公約を発表した①。開拓記念館のリニューアルは、「25の重点政策」の11番目。「政策の8本の柱」の一つである「安全安心そして包容力に満ちた地域……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

北海道開拓記念館から北海道博物館へ①

記念塔解体を決めた北海道環境生活部北海道百年記念塔(以下「百年記念塔」)の解体を北海道が最終的に決定したのは、平成30年12月策定の「ほっかいどう歴史・文化・自然『体感』交流空間構想」においてである。北海道環境生活部は同構想書9ページで下記のように示した。百年記念塔は、先人に対する感謝と躍進北海道のシンボルとして、また道民の貴重な財産として長く親しまれてきました。しかしながら、記念塔は、建設から50年近くが経過し、老朽化が進み、錆片などの落下もあることから公園利用者の安全性を確保することが重要で……