平成19年知事選での高橋はるみ候補の公約
開拓記念館の北海道博物館への改編は、高橋はるみ北海道知事の三期目の選挙公約だった。平成19年4月に行われた第16回統一地方選挙での知事選に立候補を表明した高橋はるみ知事は3月9日に記者会見を開き、「【私の政策】新生北海道・第2章〜道民はみんな家族、子どもたちに夢を、そして郷土に活力を!〜」と題した168項目からなる選挙公約を発表した①。
開拓記念館のリニューアルは、「25の重点政策」の11番目。「政策の8本の柱」の一つである「安全安心そして包容力に満ちた地域づくり」に位置付けられた「アイヌ文化など北海道の文化およびスポーツを振興します」に次のように打ち出された②。

注目したいのは、開拓記念館のリニューアルの目的が「アイヌ文化」の振興にあることである。
なお文中の「『イオル』の再生」とは、「アイヌ文化振興法」(平成9年7月施行)の前段となった「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」(平成8年4月)に盛り込まれたアイヌ文化を総合的に伝承するための伝統的な生活の場(イオル)の再生事業」である。平成11年に基本構想が固まったが、その後国の支援が受けられず、宙に浮いたかたちとなっていた③。
この時の知事選挙は、現職の高橋はるみ候補の他、民主党などが推薦する荒井聡候補、共産党新人の宮内聡候補の3氏が争ったが、高橋候補が現職の強みを生かして173万8千票と、2位の荒井候補の98万1千票に大差を付けた。
①北海道新聞朝刊全道(2007/03/10)<07知事選>経済構造の転換強調*高橋氏が公約発表*地域医療拡充も
②高橋はるみ候補公約集『高橋はるみ【私の政策】新生北海道・第Ⅱ章〜道民はみんな家族、子どもたちに夢を、そして郷土に安心と活力を〜』2007・14p
③北海道新聞朝刊地方(2005/02/16)<文化 水曜プラス>宙に浮く「イオル」構想 白老の実情 等
文化審議会への諮問
2期目に入った高橋知事は、平成20年5月23日、北海道文化審議会(佐々木茂会長)に対して「北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について」と題した諮問を行う。その全文を紹介する①。

①北海道情報公開条例に基づく開示資料
開拓記念館の役割検討特別委員会の設置
北海道文化審議会(以下「文化審議会」)は、本道の文化振興にかかわる重要事項について調査審議を行う知事の付属機関で道の環境生活部生活局道民活動文化振興課が所轄する。この時の委員は次の通りである①。

文化審議会は「幅広い観点に立った検討を進める必要がある」との判断から、道内外の有識者や専門家10名による「北海道における博物館のあり方と開拓記念館の役割検討特別委員会」を設置して知事の諮問に対応した。特別委員会のメンバーは次の通りである②。このような特別委員会でメンバーの中に一人として文化審議会の委員が含まれていないことは異例と言える。

この中で、国立民族学博物館研究戦略センター長である佐々木史郎氏は、後に国立アイヌ民族博物館の初代館長に就任する。佐々木氏がこの段階から北海道の博物館構想に関わっていたことは注目に値する。
北海道大学アイヌ・先住民族研究センター長である常本照樹氏は、現在財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長であり、この後、アイヌ施策推進法や民族共生空間(ウポポイ)につながる内閣官房長官の諮問機関「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の委員となった。
道立北方民族博物館館長である谷本一之氏は、北海道教育大学の学長だったことで知られるが、道立アイヌ民族文化研究センター所長・アイヌ文化振興・研究推進機構理事長の経歴を持つ。知里真志保氏に師事し、北方民族の伝統音楽の研究に長年携わった。おな谷本氏は平成21年7月19日に逝去された③。
ほか、北海道教育大学監事の瀬山幸二氏は北海道電力の常務を務めた人物。当時は北海道電機工事の社長であった④。さらに北海道新聞社の論説委員がこの中に入っていることも目を引く。
特別委員会委員の中で、アイヌ協会副理事長の秋辺得平氏の他、谷本氏、佐々木氏、常本氏がアイヌ文化に造詣の深い人物であった。一方で、北海道開拓功労者の子孫などは含まれていない。特別委員会委員の人選は、北海道開拓記念館をアイヌ文化の発信拠点に造り替えたいと意欲を燃やす高橋知事の意向に沿った人事であったと言える。
①②『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・15p
③北海道新聞夕刊全道(2009/07/25)<哀惜>谷本一之さん(アイヌ文化振興・研究推進機構理事長7月19日死去
④『事業報告書』2010・国立大学法人北海道教育大学・15p/北海道新聞朝刊全道(2005/06/01)「北海電気工事人事(6月29日)*新社長に瀬山氏」
文化審議会答申
同特別委員会は平成20年7月から5回の委員会を開いて「北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割」について検討し、平成21年7月28日に文化審議会は同名の答申を高橋知事に対して行った①。
答申は冒頭の「はじめに」で「開拓記念館が今後果たすべき役割や機能について、次の観点に配意しながら検討を行ってきた」と、検討の基本姿勢を次のように示している②。
◇日本列島弧の北辺にあって、北東アジアと歴史的なつながりを有し、“雄大な自然”、“豊かな環境”、“アイヌ民族の先住の地”といった北海道の特性を存分に活かした、東京を除く関東以北には整備されていない北日本の国立博物館の誘致を目指すことを希求したが、当面は、現在の開拓記念館の機能・運営の充実強化に言手することを出発点とした検討を進めてきた。
◇北海道に先住するアイヌ民族とその文化を尊重するとともに、開拓に携わった先人の努力に敬意と感謝を表す考えを基本としながら、自然や環境の保全を含む持続可能な未来に向けた人間史の博物館を目指す。そうしたことから、館の名称をはじめ展示構成、道内博物館の中核的施設としての機能強化、博物館環境をはじめ周辺の整備など開拓記念館の40年の歴史を超えた、新しい視点と幅広い観点からの検討を進めてきた。
◇これまでの開拓記念館の博物館機能の中に、アイヌ文化の継承の役割を盛り込んだ『北海道ミュージアム』構想を策定し、その具体化を図るという知事公約の具現化を視野に入れた検討を進めてきた。
この基本姿勢を踏まえ、現状の開拓記念館が抱える課題を、①集客力の向上、②交通アクセスの向上、③建物施設の改善、④展示の改訂や充実、⑤調査研究の重点化、⑥情報サービス活動の充実、⑦学習支援機能の充実、⑧売店等の充実、⑨道内博物館のセンター的機能の強化、⑩外部資金の導入・活用や住民参加の促進、と挙げたあと最期の⑪に次のように「館の名称変更」を掲げた③。
道は、昭和41年3月、「北海道百年記念事業実施方針」を策定し、この方針のなかで、「北海道開発の歩みと現状ならびに北海道開発の未来像を示す諸資料を蒐集し、保存し、展示するための、いわば総合博物館とも言うべき相当規模の開拓記念館を設置する」ことを決定し、昭和46年4月に北海道百年記念事業の一つとして「北海道開拓記念館」を設置したが、先史時代からの歴史をも含む現在の館の総合的な研究・展示活動の実態と名称が必ずしも適合していないことや、設置から40年近く経過し、道民の歴史認識の進展や先住民の文化が重要であるという認識の高まりを考えると、「開拓」や「記念館」という名称が、今後の役割や活動を的確に表現できないことなどから、こうした状況を踏まえ館の名称の変更を検討する必要がある。
文中の「『開拓』や『記念館』という名称が、今後の役割や活動を的確に表現できない」とは、開拓記念館の設立理念の否定としか理解できないものである。
①北海道新聞朝刊全道(2009/07/29)開拓記念館*アイヌ文化の展示強化*全面改装答申案
②『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・巻頭言(はじめに)
③『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・7p
総合的な博物館としての役割
開拓記念館の設立理念を引き継ぐことを拒否した上で、答申は今後「北海道における総合的な博物館としての役割」として次の二つを求めた①。
○自然、環境を含む未来に向けた人間史の博物館
開拓記念館は、北東道全体の中核的な博物館として、自然や環境も含めて研究・展示を行う、未来に向けた人間史の博物館を目指すべきである。そのためには、自然史部門の充実や現代に係る展示の充実などを検討していく必要がある。○アイヌ文化を保存・伝承し未来に活かす博物館
アイヌ文化を北海道史の重要な-部と位置づけ、広く北東アジアの南北・東西交流の中で捉え直すことによって、明治以降の北海道開拓に片寄りがちだった見方を改めるとともに、日本列島弧北部周辺、とりわけ北海道に先住するアイヌ民族の文化を尊重し、未来に活かす観点から、展示の改訂、充実などを検討する必要がある。
さらに「発揮すべき機能」のうち「展示」では②、
展示の基本姿勢として、「わかりやすく、おもしろく、ためになる」を意識していくことが重要である。そのためには、利用者の意見を充分くみ取る必要があり、適切に意見を聴くシステムを構築するとともに、それを反映した展示改善の方策を工夫することが必要である。
<常設展示>
常設展示の改訂は、多くの時間・労力・経費などを要する。基本的な歴史の流れを表現し、かつ個別事項への導入部としての役割を果たすとともに、各主題毎に更新しやすい展示構成を新たに検討し、ていく必要がある。また、展示は、その内容だけではなく、方法を含め充分な検討を重ねていく必要があるが、アイヌ文化についても、最新の研究成果に基づいた展示を検討していく必要がある。
なお、常設展示室の見学動線は、誘導型の流れを持つとともに、入館者の興味に応じた選択が可能であるようにも工夫する必要がある。また、休息や学習のためのスペースを適宜確保するなどの改善も必要である。
としている。前回引用した「北海道開拓記念館の目的」で示された「展示制作の基本方針」とと比べたとき、提言が求めるものと違いがさらに浮き彫りになる。
①『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・8p
②『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・10p
開拓記念館の設立理念の否定
「提言」は、最後に念を押すように「館の名称」との項目を設けて次のように述べて締めくくっている①。
これまでの意見にある次の点を踏まえるとともに、「館に求められる役割」や「発揮すべき機能」などを十分勘案の上、館の名称を変更することが適当である。
(1)開拓記念館の展示、普及、研究活動は、北海道の自然と歴史、文化に関する幅広い観点に立ったものであり、「開拓」という語がイメージする範疇に収まるものでないこと。
(2)日本列島弧北部周辺、とりわけ北海道に先住するアイヌ民族とその文化を尊重するとともに、明治以降の近代の北海道を拓いた先人の労苦に敬意を表し、今日まで刻み続けられてきた北海道の発展の歴史を保存・伝承する博物館として、より相応しい名称を冠する必要があること。
(3)開拓記念館という名称は、博物館関係者等には周知されているが、予備的知識のない道民や観光客にとっては、直ちに「総合博物館」の機能をイメージしにくいものであり、この点が、来館者招致の障害となってきたこと。
なお、各委員からは、館の新たな名称として、「北海道博物館」、「北海道歴史文化博物館」、「北海道歴史博物館」、「歴史と未来博物館」などが提起された。
また、館の愛称を公募により選定することも、道民に支えられる博物館としての定着を促す効果的な手法であるとの意見が提起された。
このように文化審議会が高橋知事に示した北海道における博物館のあり方と開拓記念館の役割」と題した「答申」は、北海道開拓記念館のリニューアルという名目とは裏腹に、開拓記念館の設立理念を否定するものであり、開拓記念館を「アイヌ文化を次代に継承し、その営みを広く普及する」ための「北海道ミュージアム」にするという高橋はるみ知事の公約に沿うものであった。
①『北海道における博物館のあり方と北海道開拓記念館の役割について答申』平成21年8月・北海道文化審議会・13p