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池田まきの謎

池田まき氏に新疑惑

大病で辞職!?令和7年2月13日に衆院予算委員会で池田氏は質疑を行っている。その議事録がこれである。まず初めなんですが、私自身が高額療養費のお世話になったことが何度かなりました。これは、大きなけがとか、そういったときにも手術なんかも該当しますし、そして、がんの研究の専門の病院ですね、そこでも二回手術をさせていただきました。そのときに、やはり、二人の子供をシングルで育てていまして、子供たちの進路を諦めざるを得なかったということもございましたし、そして辞職もしました。幸いこうやって命がありますから、……
池田まきの謎

衆議院議員池田まきとは何者か ④

池田氏に働いた〝特別な力〟ここまでの調査で得られた池田氏が代議士になるまでの足跡を表にしてみた。東京時代を調べても、北海道でのロケットスタートの背景がまったく見えなかった。どう考えても行政経験2年、介護福祉士経験1年の者が、北海道を渡るやいなや福祉行政の指導者として「先生」と呼ばれる立場に立つことなど考えられない。そもそもフリーソーシャルワーカーとして生計を立てられるはずもない。東京時代の池田氏は、頑張り屋さんではあったが、東京の福祉業界の中で特に秀でた実績もなく、数万人の福祉関係者の一人だった……
池田まきの謎

衆議院議員池田まきとは何者か ③

壮絶な生い立ち池田氏の東京時代については、自身が語っている。元記事は『女性自身』の平成29(2017)年の記事のようだが、壮絶な生い立ちであったようだ。池田氏は「幼稚園に入る前から父親からDVを受けていた」という。父親は母に暴力を振るい続けた。池田氏が中学生になった頃、たまりかねた母が妹を連れて家を出たため、一家は離散。池田氏は祖母の元に移った。高校生になると「池田さんは、穏やかな家庭を夢見て18歳で事実婚」。つまり高校生のうちに妊娠し、卒業前後に最初の子供をもうけている。そのためか、池田氏は高……
池田まきの謎

衆議院議員池田まきとは何者か ②

地域活性化総合研究会代表移住後わずか3年で衆院選の候補となった池田真紀氏。何が彼女を押し上げたのか? 北海道に移住した平成23(2011)年から池田真紀氏が最初の国政選挙である平成26(2014)年12月の衆院選までの軌跡を追ってみた。この間の池田氏の足跡については、北海道新聞が不思議なほど良く伝えている。最初に池田氏が道新に登場するのは、平成24(2012)年03月11日の道新『被災者に寄り添う 生活保護受給の道内避難者支援』という記事。「ケースワーカーの経験がある札幌の社会福祉士の池田真紀さ……
池田まきの謎

衆議院議員池田まきとは何者か ①

来道7年目に国会議員令和8年12月の衆議院選挙、北海道5区からは池田まき氏が3期目の当選を狙う。「誰ひとり置いてきぼりにしない」政治を目指すという池田氏だが、この人はどこから来た人なのだろうか? 果たして何者なのだろうか? 池田氏の公式サイトのプロフィールによれば昭和47(1972)年5月24日:東京生まれ。シングルマザーとして2人の子どもを育てた平成9(1997)年(24歳)から:14年間東京都板橋区福祉事務所に勤務平成23(2011)年(38歳):北海道へ移住。フリーソーシャルワーカーとして……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

見捨てられた鉄路 (下)

署名簿の受け取り拒否ふるさと銀河線の存続策を協議する道と沿線自治体による協議会は平成15(2003)年6月21日に第2回会議が行われる。これを北海道新聞は「銀河線廃止へ*道が主導で道筋*沿線首長の反対押し切る」との見出しを付けて報じた。同紙によると「同日の会議で道は、バス転換も視野に入れた協議入りを認めるよう強く求めた」という。①このことに危機感を高めた沿線では、銀河線の存続を求める署名運動が立ち上がった。沿線7市町では10月までに3万2450人の署名が集まった。沿線7市町の首長は、これを高橋知……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

見捨てられた鉄路 (上)

北海道百年記念塔は、建立から50年で老朽化と維持コストを理由に解体された。解体・存続に向けた検討は公式には平成28年の「北海道の歴史文化施設活性化に関する懇談会」から始まり、平成30年12月の解体決定まで、有識者会議やアンケート、ワークショップ、塔の状況調査などが繰り返された。私たちは、百年記念塔の解体は、遅くとも平成27年段階には道の内部で決定しており、その後の調査や検討は解体を既成事実化するためのアリバイづくりと見ているが、高橋道政の16年を振り返ると、内部決定を隠したまま、努力のそぶり、道……
私のオピニオン

北風よりも太陽を

第2次北海道アイヌ政策推進方策(素案)を拝見し、この施策が①アイヌの人々の生活向上、②アイヌ文化の振興と伝承、③アイヌの人々に対する差別の解消という3つの柱によって構成されていると理解しました。 ③についてアイヌの人々に対する「現在もいわれのない偏見や差別」が残っていることが事実だとしても、その原因を「アイヌの歴史や文化等について十分な理解が得られていない」ことだけに求めるのは単線的ではないかと考えます。一般に、差別や排除的態度は、自らの価値観が脅かされる不安、相対的な地位低下の恐れ、共同体秩序……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

高橋はるみの洞爺湖サミット②

北海道経済危機再び当選とはいえ79万票。最低ラインとされた90万票を大きく下回る不人気。政権与党自民党の幹部、そして道内財界のフルサポートを受けたにしてはものとしては不満な票であったろう。何がこの結果をもたらしたのか。 北海道知事選挙のあった平成15(2003)年4月はどういう時代であったか。北海道は長い景気低迷に苦しんでいた。『週刊ダイヤモンド』2000年7月1日号は「北海道経済危機再び!」という特集の巻頭で「マイナス成長に逆戻りか 回復から取り残される道経済」との見出し記事は次のように始まる……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

高橋はるみの洞爺湖サミット①

通産省キャリア実質的に記念塔の解体が決定したのは平成30(2018)年12月の「ほっかいどう歴史・文化・自然『体感』交流空間構想検討会議」の報告書であり、これを受けて北海道知事が解体を正式決定した。その知事は高橋はるみ氏である。北海道百年記念塔は、昭和43(1968)年の「北海道百年」を記念するために北海道開拓記念館と対として建設された。前述した如くこの北海道開拓記念館は、平成27(2015)年に廃館となり、北海道博物館となった。その起点は平成20(2008)年、当時の知事が選挙公約として打ち出……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興⑥

最終答申への不満アイヌ民族が旧土人保護法に代わる新法を提言したのは、昭和59(1984)年5月のウタリ協会総会である。それから12年の歳月が経過し、ようやく新法制定のために設置されたウタリ有識者懇の最終答申は、アイヌ民族が求めてきたものとほど遠いものだった。新法制定要求の核心にあった民族自決権は、「我が国におけるアイヌの人々に係る新たな施策の展開の基礎に置くことはできない」と一刀両断にされ、わずかに日本の多様な文化の一つとしてアイヌ文化を振興するものとなった。この答申を当のアイヌ民族はどう受け止……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興⑤

民族自決権をもとめたウタリ協会平成7(1995)年3月、アイヌ民族が昭和59(1984)年以来、10年以上にわたって主張し続けてきたアイヌ新法を検討するための協議体として、官房長官の諮問機関「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「ウタリ有識者懇」)が設立された。アイヌ新法に求めるウタリ協会の要求は、昭和59(1984)年の最初の新法要求の時点では、①基本的人権、②参政権、③経済的自立権の確立、④アイヌ民族が自主的に運用できる民族自立化基金の創設だった。この後、国連での先住民族作業部会へ……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興④

野村理事長の国連演説平成4(1992)年12月10日、翌年の国連「国際先住民年」の開幕式典として、世界の先住民族の代表18人・2団体がニューヨークの国連本部で演説を行った①。アイヌ民族の野村義一理事長は11番目に登壇する。その演説内容の前半であるアイヌ民族が置かれた現状と歴史認識については、前回に紹介した「アイヌ新法案前文」と重なるので、ここでは世界に向けたアピールである最終段を引用する。アイヌ民族は、今日国連で議論されているあらゆる先住民族の権利を、話し合いを通して日本政府に要求するつもりでお……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興③

アイヌ新法の制定を目指して令和元(2019)年のアイヌ施策推進法は平成9(1997)年成立のアイヌ文化振興法を置き換えるものであった。さらにアイヌ文化振興法は明治32(1899)年の旧土人保護法を廃案にした上で成立した。現代のアイヌ復興運動は、アイヌ施策推進法とアイヌ文化振興法の二つを軸に展開したといえる。さらに、これらの源流をたどれば、昭和59(1984)年5月27日に当時の北海道ウタリ協会総会で承認された「アイヌ新法案」に行きつく。旧土人保護法に代わるアイヌ新法を求める動きは昭和40(196……
北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

国連とアイヌ民族復興 ②

第一次安倍内閣の失墜前節で平成20(2008)年のG8サミットの会場として洞爺湖が選ばれたのは、国際テロへの強い警戒からであると指摘したが、当時の政権には、日本で開催されるこのサミットに対して低迷する支持率の浮上のきっかけにしたいとの強い思いがあった。平成18(2006)年9月、徹底した改革路線で高い人気を誇った小泉純一郎首相が自民党総裁の任期満了により退任すると、小泉内閣で官房長官を務めていた安倍晋三氏が総裁選を勝ち抜き、第90代内閣総理大臣となった。52歳の首相は戦後最年少で、内閣支持率68……