【共生条例の未来・子どもの権利条例に学ぶ】❶18年ぶりの市長提案否決 パブコメ5380件!

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札幌市議会では「札幌市誰もがつながり合う共生のまちづくり条例」(共生社会推進条例)の審議が進んでいます。観念的で具体像が掴みにくい条例となっています。そこで前段となった平成20年制定の「札幌市子どもの最善の利益を実現するための権利条例」(子どもの権利条例)を振り返ることで、この条例がどのような未来をもたらすのか、考えます。

⇒札幌市子どもの権利条例
https://www.city.sapporo.jp/kodomo/kenri/jorei.html

国連の「子どもの権利条約」から

この条例の端緒も国連でした。まず平成元(1989)年11月に「子どもの権利に関する条約」が国連総会で採択されます。子どもが、大人の庇護のある存在ではなく、大人と同じように独立した権利を持つ主体として認めるものでした。

しかし、時の自民党政府は批准に及び腰で、日教組や日弁連、リベラルマスコミを中心に批准を求める運動が高まります。

同条例が批准されたのが、平成6年3月の参院本会議。新生党、公明党、日本新党、民社党、自由党、改革の会、民主改革連合による寄り合い所帯の羽田内閣が批准しました。日本は157番目の締結国となりました。

この後、条約を受けた国内法の整備は進まず、自治体が先行して条約化する流れが起こります。平成13年4月、川崎市が「子どもの権利条例」を制定したのを皮切りに、14年世田谷区と続き、北海道では同年4月に奈井江町ではじめて制定されました。

参考:ユニセフ「国連子どもの権条約」
https://www.unicef.or.jp/crc/

上田市長が強い意欲

札幌市では平成15年の札幌市長選に、民主党・市民ネットワークの推薦を受けて出馬した上田文男氏が、初めての選挙で公約に打ち出すなど制定に強い意欲を見せました。

これを強力に後押ししたのがリベラル勢力です。新聞は次のように伝えています。

札幌市が二○○六年の施行を目指す「子どもの権利条例」に市民の立場から意見を出そうと、大学教授や教師、弁護士、主婦ら十五人が呼びかけ人となり、九日に「子どもの権利条例制定市民会議」を設立する。市とは別に独自の条例案を策定し、市の条例にその内容を盛り込ませる考えだ。

市民会議は、さっぽろ自由学校「遊」が一九九八年から続けている子どもの権利についての勉強会が母体。市は四月末にも条例制定に向けて検討委員会を発足させる予定だが、条例に実効性を持たせるには、市民からの積極的な意見が不可欠との立場から、市の検討委とは別に市民会議を立ち上げ、他都市の条例を研究しながら独自条例の策定を進めることを決めた。(2005/04/02 北海道新聞)

札幌市で実際に制定の動きが始まるのは、平成17年4月。市民や高校生など25人の委員で構成される「札幌市子どもの権利条約制定検討委員会」により議論がはじまりました。

翌平成18年2月には32名の子どもたちによる「札幌市子どもの権利条例子ども委員会」が発足し、子どもとしての意見を札幌市に提案します。

条例案に、当事者である子どもたちの意見が取り上げられたことが特徴でしたが、実際には、条例を推進する側の大人の顔色を強く伺った優等生的内容で、推進する側の本音が子どもにカモフラージュされる内容となりました。

このために保守派からは、強い反対の声が上がります。

パブリックコメントに5380件の意見

条例に向けた二つの委員会の内容を受けてつくられた素案をもとに平成18年7月からパブリックコメントが始まりました。この時、実に3504人・5380件という記録的なコメントが寄せられます。

この数字にはカラクリがあります。札幌市はパンフレットを26万部もつくり学校を中心に市内に配布したのです。パンフレットには子どもの権利条例の素案と、パブリックコメントの記述欄がありました。

子供用として16万部パンフレットが学校に配布されました。パブコメの回答を総合的授業の一環として教師が子どもに書かせたところもあったのではないかと思われます。

新聞では条例に対する市民の関心の低さがたびたび話題になっていたことから、関心を数字で示す狙いもあったのかも知れません。

札幌市の共生社会推進条例のパブリックコメントでも2000件の意見が集まりましたが、集まり方がまったく違います。「子どもの権利条例」のパブリックコメントは、パブリックコメント自体が市による条例の宣伝でした。

反対多数で否決

「子どもの権利条例」では、市議会自民党が猛烈な反対運動を繰り広げました。自民党は「権利一方に偏っており、学級崩壊さえ招く危険がある」などと主張。また当時の上田市政は、自民党と公明党が野党で議会でも多数派でした。

平成19年2月の第1回定例会に条例案は提出されましたが、反対多数で否決。上田市長が「子どもの権利条例」と並んで力を入れた「市民活動推進条例」もあわせて否決されました。

この2カ月後に統一地方選挙があり、自民党と公明党は上田市長の対立候補となる新人の前国土交通省技監・清治真人氏を推薦していました。自民党は当初から反対でしたが、公明党は慎重姿勢。公明党が清治氏推薦を決めたことで反対に回ったという経緯でした。市長提出の議案が市議会で否決されるのは18年ぶりでした。

修正案は継続審議

平成19年4月の統一地方選挙では、上田文男氏が清治氏に対して20万票近い大差をつけて再選。上田市長は市長選圧勝の勢いを得て「子どもの権利条例」の再提出を図ります。

6月に有識者による検討委員会を発足させ廃案となった条例案をベースに再提出案の検討を行いました。このとき「権利侵害を受けた子どもの救済制度」が盛り込まれます。理念ばかりがうたわれ、実効性がないとの批判に応えたものでした。

札幌市は平成20年5月の第2回定例会に札幌市は「子どもの権利条例」を再度提出。公明党は「子どもの救済制度」が盛り込まれたことを評価していったんは賛成の意向でしたが、条例に反対する陳情が400件以上寄せられたことを重視し、「市民の賛否は対立しており、採決は時期尚早」として継続審議を支持しました。こうしてこの議会では「子どもの権利条例」は先送りとなりました。

公明党の裏切りで可決成立

第2回定例会においても自民党は反対の立場でしたが、友党である公明党が継続審議を選んだことで同調したかたちでした。

平成20年9月の第3定例会が始まると、公明党は与党民主党に条例名変更を打診します。子どもの権利よりも利益を強調した「札幌市子どもの最善の利益を実現するための権利条例」というものでした。

これを民主党が了解し、10月6日の文教委員会で、公明・民主の両党が名称変更の条例修正の動議を行って可決。そして最終日の11月8日の本会議では賛成多数で成立しました。

最後まで反対を貫いた市議会自民党は、同時反対の声明を発表しました。

※参照:北海道新聞各記事

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