衆議院議員池田まきとは何者か ⑤

池田まきの謎

2011年1月に北海道に移住

池田氏の北海道移住は平成23(2011)年1月だった。

池田氏の1月31日付け公式X掲載の動画の初めの方で「その働きぶりは、話題となり『伝説の公務員』『スーパーフリーソーシャルワーカー』などマスコミに取り上げられ、全国各地から、講演の依頼がきました」との紹介があり、そこに3つの媒体が取り上げられていた。

https://x.com/ikemakihonki/status/2017420442177572972


調べると次のような媒体だった。

❶『はるまち』は、生活保護をテーマとした季刊誌で平成25(2013)年9月に創刊。表紙にVOL8とあり、季刊であることから平成27(2015)年6月号と思われる。①
❷左下の「特集 すごい公務員 伝説の公務員」は『公務員試験 受験ジャーナル 27年度試験対応 Vol.1』の特集であることが判明した。平成26(2014)8月27日発売で公務員辞職4年後だ。②
❸平成24(2012)12月に帯広で開かれた社会福祉協議会十勝支部のセミナーのチラシである。

❶は衆議院議員候補として知られた後なので、これが直ちに「その働きぶりは、話題になり」の根拠にはならない。❷も同様である。❸帯広で講演をしたからといって「スーパーフリーソーシャルワーカー」になるとは言えない。フリーソーシャルワーカーについては連載②で検討している。

さて❷で池田氏は「ヒューマンハーバーA・I代表、フリーソーシャルワーカー、内閣官房地域活性化伝道師 池田真紀さん」と紹介されている。❸の肩書きも「ヒューマンハーバーA・I代表」である。

ここから池田氏が札幌に移住したのは平成23(2011)年1月であることが明らかになったのである。

https://www.tenohasi.or.jp/news/6314/
https://www.amazon.co.jp/公務員試験-受験ジャーナル-27年度試験対応-Vol-1-受験ジャーナル編集部/dp/4788955016

明らかになる詳細履歴

「ヒューマンハーバーA・I」にいつて調べるとブログが見つかり、そこに池田氏の来道前後の詳細な経歴が掲載されていたのだ。

ヒューマンハーバー・AI のブログ
池田真紀さんのブログです。最近の記事は「さっぽろ自由学校「遊」こどもの権利学習会12月例会で報告します。」です。

民間の高齢者・各障がい者の在宅介護・通所施設等に勤めたのちに、東京都板橋区に入区。板橋福祉事務所で14年間勤める。福祉事務所では在宅での直接介護、介護保険施行時の制度移行業務、支援費制度移行業務をワーカーと兼務で行う。その後、障がい者自立支援法準備時に生活保護ケースワーカーへ。公務員は技能系の家庭奉仕員、介護指導職、そして行政職の事務へ特例転職。

板橋区長許可・兼業で、平成21(2009)年NPO法人 災害福祉広域支援ネットサンダーバードの客員研究員として「厚労省補助事業 社会福祉施設のBCPのガイドライン」を作成。同じく平成21(2009)年明石書店「子どもの貧困白書」の中の「東京都における低所得者世帯への学習支援」を執筆。

  •  平成21(2009)年 地域安全学会論文共著「高齢者施設におけるBCP」共著。
  •  平成21(2009)年 日経グローカル「挑む!公務員」にて掲載される。 
  •  平成23(2011)年1月、北海道へ転居。
  •  平成23(2011)年 地域活性化総合研究会として地域活性化勉強会・意見交換会を行う。
  •  平成23(2011)年5月より、北海道NPO被災者支援ネット 生活相談センター長

 3回のボランティア養成講座を行い、講座での1期生から3期生までのワールドカフェの導入、終了者のママボラさんと被災者のママさんと赤ちゃんを講師に、そして地域への発信と斜めの交流として地域にある資源のミニ・シンポジウムを行う。

  •  平成23(2011)年7月 北海道NPO被災者支援ネットを退職。
  •  平成23(2011)年7月 札幌市内の公務員予備校にて講師。
  •  平成23(2011)年7月 札幌市内の地域包括支援センターで社会福祉士として勤める。
  •  平成23(2011)年7月 ヒューマンハーバー・AI 開業

このなかにある「日経グローカル『挑む!公務員』」は、平成22(2010)年10月号なので誤記である。「そして行政職の事務へ特例転職」も気になる。行政職への転置は移住の2年前、平成21(209)年だ。

全体を通して見ると後の政治家につながる活動の起点は平成21(2009)年。同年に「NPO広域支援ネットワーク・サンダーバード客員研究員」となったことが大きいようだ。

NPO広域支援ネットワーク・サンダーバードは、全国で600以上の事業所を展開する巨大医療福祉グループである「湖山医療福祉グループ」が実質的に運営する法人である。①この法人の客員研究員となったことで全国に4か所の高齢者施設を訪問調査する論文執筆が可能になったのだろう。

https://www.byoinshinbun.com/tokusyu_news.php?cs=4&id=7514#:~:text=2802号%20%2D%202024年6月%2027日.

移住に大病は伺えない

同じブログで平成23(2011)年12月10日、「さっぽろ自由学校『遊』子どもの権利学習会12月例会」で講演したときのプロフィールが掲載されている。

〈プロフィール〉池田真紀(いけだまき)

民間の在宅介護、通所介護の職員を2年務めたのち、東京都板橋区役所・板橋福祉事務所に14年間勤務。低所得者世帯の高齢者在宅介護、障がい者在宅介護、障がい者(児)のケースワーカー、生活保護ケースワーカーを務める。平成22(2010)年10月号「日経グローカル」~挑む!公務員~掲載される。

平成22(2010)年NPO広域支援ネットワーク・サンダーバード客員研究員として「特別養護老人ホームにおけるBCP」ガイドラインを作成。地域安全学会論文共著

平成23(2011)年4月北海道NPO被災者支援ネット生活相談センター長、7月資格・公務員予備校LEC東京リーガルマインドで専任講師、8月札幌市北区第2地域包括支援センター(社会福祉士)に在籍し、個人事業「ヒューマンハーバー・AI」にて被災避難者の地域生活を通した社会福祉相談、人つなぎカフェの開催、講話等を実施。地域活性化総合研究会代表。

『さっぽろ自由学校「遊」こどもの権利学習会12月例会で報告します。』
下記、報告予定です。ぜひご参加ください!〈自由学校「遊」より〉12月10日(土)10:00~12:00【こどもの権利学習会】…

ここでは「日経グローカル」は正しく平成22(2010)年10月号だ。

「日経グローカル」誌の記事の中で

今年(2010)から上司に働きかけて職場レベルの勉強会を始めた。月に1~2回開き、8人前後が参加する。『マニュアルもない職場なので、気軽に若手の相談に応じる機会を作りたい』という狙いだ。受給世帯の子供向け学習会や、地域で就業の場を得る新しい手法も検討中だ。①

と語られているが、まさかこの号を発行した2カ月後に北海道に移住するとは、誰も思わなかったのではないか? 果たしてその理由が池田氏が語っている「2度の入院」「膝と股関節の腫瘍」「命にかかわる大病」だったかはここからは伺えない。

なお、同ブログ記事の中で主催者の言葉として「※池田さんは今年1月から札幌に在住しています。札幌での生活から見えた子どもの貧困や、ご自身がこどもとどう関わっていくかなど話して頂きます。とても行動的な池田さんのお話をぜひお聴き下さい」とあることからも1月の移住が確かめられる。

①『日経グローカル』NO158. 2010.10.18.7p

目まぐるしい活動

札幌に移ってからの池田氏の活動は慌ただしい。5月に北海道NPO被災者支援ネットの生活相談センター長になるが、わずか2カ月で退職して7月に公務員予備校LEC東京リーガルマインド講師をしつつ個人事業「ヒューマンハーバー・AI」を立ち上げる。8月に札幌市北区第2地域包括支援センター(社会福祉士)に在籍。地域包括センターは札幌社協が運営するもので社会福祉士の職員は公務員ではないが、どこまで副業がゆるされるのか定かでない。

この「ヒューマンハーバー・AI」だが、ブログによると8月と11月に「ママカフェ」を開いた以外に活動歴がない。ブログ記事も12月で終わっている。

そして平成24(2012)年になると2月19日以前に「地域活性化総合研究会」を組織する。ここで3月に京都と札幌で『スーパー公務員・地域人財リーダー育成塾」、5月に意見交換会を開催する。しかしこのブログの記載もここで終わっている。その後の活動実態が伺えない。

この時期の池田氏は、短い間でいくつもの活動を立ち上げている。そして翌平成25(2013)年に「北海道大学公共政策大学院」に入学するが、ここでも「子どもみんながチャレンジできる日本をめざす会実行委員会」を立ち上げた。しかし、この会も道新の記事で言及されているだけで検索しても他に活動の痕跡が見出せない。

この後、平成26(2014)年8月に民主党の札幌市議会議員候補として承認され、さらに11月の衆議院議員候補に抜擢される。落選後は民主党北海道道民生活局長となった①。すなわち民主党の専従として党から生活支援を受ける立場だろう。

①民主・池田氏 候補に浮上*衆院道5区補選*他党と連携調整へ(2015/12/04 (金) 北海道新聞朝刊)

池田氏は公募の落下傘候補

さて前回の報告になかった新情報として平成30(2018)年3月の朝日新聞朝刊の「女性議員の現状、子を持つ1回生議員が語り合う」という記事を紹介する。民進党の伊藤孝恵氏、自民党の大沼瑞穂氏との鼎談記事の中で池田氏は、

池田真紀 私たちみんな公募候補ですね。私は最初の選挙が落下傘候補で、選挙区替えもあった。シングルマザーで2人の息子を育てましたが、20年前に比べて子育て支援政策は増えたけれど、子どもの視点の政策を考えることも重要①

と語り、自身が民主党の公募によって選ばれたことを語っている。落下傘候補とは縁もゆかりもない土地から立候補する候補者のことである。これまでの池田氏のプロフィールにはなかった事実だが、新聞記事を検索してもこの時期に民主党が議員候補者を公募した公の活動は見出せなかった。おそらく水面下のものだろう。

下は池田氏が新聞雑誌に語った北海道移住の動機だが、このように一貫していない。


①女性議員の現状、子を持つ1回生議員が語り合う 伊藤孝恵さん、大沼瑞穂さん、池田真紀さん(2018/03/16 朝日新聞 朝刊)

民主党の周到な計算と戦略?

ここからはあくまで筆者の推論だが、池田氏が民主党の「公募」に応募したのは、平成21(2009)年〜平成22(2010)年の間と思われる。その前後で同一人とは思えないほど行動と環境が変わるのだ。

おそらく民主党は、DVによる一家離散、シングルマザーの子育て、福祉の現場を経験したマドンナとして有権者に強くアピールできると考えたにちがいない。朝日新聞の鼎談で語った「落下傘候補」という発言からも公募で選ばれたのが東京時代だったことを伺わせる。

北海道に渡ったのは民主党の「公募候補」としての活動で、ヒューマンハーバーAIや地域活性化総合研究会の活動などは、ゆかりのない北海道で立候補する数年後の国政選挙に向けた、民主党の周到な戦略だったのではないだろうか。

少なくとも移住1年目に平成23〜24(2011〜12)年のような活動を行うのは、北海道に強い後ろ盾がなければ難しい。すなわちこれらの活動は北海道の有権者を代表する政治家にふさわしい物語づくりだったという理解だ。

この背景として平成21(2009)年に着目し、池田氏の選挙区で起こった民主党小林千代美氏の大量選挙違反事件を取り上げたのが『衆議院議員池田まきとは何者か④』である。

池田氏は、北海道5区選出の衆議院議員だが、政治家としての原点である北海道移住について未だに明確な説明はない。今「ヒューマンハーバーAI 池田まき」とネット検索すると下記が表示される。

しかし、クリックすると「404 Page Not Found」となる。(「反貧困ネット北海道」という団体の運営委員でもあったようだ)

確かに池田氏が、平成22(2010)年の半ばまで元気だったが、後半に病が急変し、何らの事情があって公務員としての福利制度を利用せずに転地療養として北海道に渡ったという可能性は否定できない。

幼い頃に受けたDVや高校時代の出産など過去を包み隠さず語る池田氏なのに、北海道5区選出の代議士としての原点となった北海道移住の経緯だけは、何か霧がかった感じだ。

いずれにしろ国会でまたは新聞に有権者の判断材料として語られた話である。北海道5区の有権者として、池田氏には、なぜ北海道だったのか? なぜ移住が平成23(2011)年だったのか? 果たして命に関わる大病が移住のきっかけだったのか? 政治家の原点となった北海道移住の経緯について明らかにしていただきたい。

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