池田氏に働いた〝特別な力〟
ここまでの調査で得られた池田氏が代議士になるまでの足跡を表にしてみた。

東京時代を調べても、北海道でのロケットスタートの背景がまったく見えなかった。どう考えても行政経験2年、介護福祉士経験1年の者が、北海道を渡るやいなや福祉行政の指導者として「先生」と呼ばれる立場に立つことなど考えられない。そもそもフリーソーシャルワーカーとして生計を立てられるはずもない。
東京時代の池田氏は、頑張り屋さんではあったが、東京の福祉業界の中で特に秀でた実績もなく、数万人の福祉関係者の一人だった──というのが正直なところだろう。
それが平成23(2011)年に突然北海道に現れるやまたたく間に福祉業界の寵児となり、そのまま国会議員に駆け上がる。平成21〜23(2009〜2011)年の間に、個人の範疇を超えた〝特別な力〟が池田氏に働いたとしか考えられない。
渡道前年の〝事件〟
その平成21(2009)年8月30日、この〝特別な力〟と深く関わっているであろう出来事が北海道であった。第45回衆議院選挙の北海道5区で自民党の大物議員町村信孝氏が民主党の小林千代美氏に敗れるという大波乱があった。ところが、同年10月15日、小林陣営の選対幹部が公職選挙法違反で逮捕されてしまうのである。①
翌年にかけて事件は、連合札幌会長を筆頭に35名の運動員が検挙される大選挙違反事件に発展し、6月17日に小林氏は衆院議員の辞職を表明する。翌年2月札幌高裁から連座制により5年間の公民権停止が言い渡された。裁判を通して北教組の幹部が次々逮捕され、小林氏の選挙が北教組丸抱えの選挙であることが明らかになった。②
小林氏が議員辞職を表明した平成22(2010)年は、池田氏が北海道に渡る前年である。
①「連合札幌会長逮捕へ 衆院5句小林氏陣営で買収容疑」(2009/10/15北海道新聞夕刊全道)他
②「北教組本部を捜査 小林氏陣営 違法献金疑い 札幌地検」(2010/02/16北海道新聞朝刊)他
町村家と北教組
北海道5区は池田氏の選挙区である。
平成6(1994)年の公職選挙法改正で創設された選挙区で、町村金五知事の兄が経営する町村牧場や町村知事が心血を注いで建立した北海道百年記念塔、盟友の黒澤酉蔵が創建した酪農学園がある町村家の地盤で、選挙区創設以来、町村信孝氏が次点に倍近い差を付けてトップ当選を続けてきた。
しかし、平成12(2000)年の衆院選に民主党は、30歳の全日糧労組中央執行委員の小林千代美氏を擁立。12万3580票対8万4631票で小林氏が敗れたが、民主党陣営は町村氏の対抗馬として女性候補に今までなかった手応えを掴む。
続く平成15(2003)年、平成17(2005)年と町村・小林の接戦が続き、ついに平成21(2009)年に18万2952票対15万1448票で小林氏が勝利するのである。
町村氏は比例で復活したが、野党にとっては町村王国の牙城を崩したことで歴史的な勝利となった。さらに民主党は、平成22(2010)年7月の参院選では徳永エリ氏を担いで勝利を収めている。
作られたマドンナ
こうなると、小林氏を失った民主党陣営は、次もマドンナと強く望んだことだろう。
北海道5区の選挙を仕切っていた北教組は、教育正常化を断行した町村知事に多くの幹部が処分を受け、〝町村〟に強い恨みを募らせていた。どんな手を使ってでも〝町村〟を追い落とせとの執念が大量選挙違反になったとするなら、次の選挙ではかなり活動を抑制せざるをえない。それだけに組織力を超える強い候補を欲したはずだ。
しかし、相手は首相の座をも伺おうという自民党の大物である。必勝を期すために、中途半端な女性候補を担ぎ出すよりも、完璧なプロフィールを持つマドンナをゼロから創り上げることを考えたのではないか。
小林千代美氏が辞職に追い込まれた平成21(2009)年6月に、このプロジェクトが始まり、誰かが「誰ひとり置いてきぼりにしない政治」というリベラルに受けするスローガンを口にする者として最もふさわしい東京都板橋区の福祉職員池田真紀を発見した(道内ではシナオリが露見する恐れがある)。
そこから民主党・北教組が、池田氏を口説き落とし、生活の保障をし、二代目マドンナとしてふさわしい経歴をまとうように、地域活性化総合研究会であったり、内閣官房地域活性化伝道師であったりを用意したと──こう考えると全てが符合する。
国会議員となった池田氏には、平成30年4月20日の衆議院厚生労働委員会で、自らの法案提出でありながら提案説明の委員会を無断欠席するという議員にはあるまじき過去がある(下記画像参照)。なぜか、この件を道新はじめマスコミは報じない。
エビデンスの欠いた個人的な伝聞で恐縮だが、その時池田氏は運動の集会もしくは関係者と会っていた、と池田氏の国会欠席事件を教えてくれた人から聞いた。事実だとすると東京時代の池田氏は何かの運動の熱心な活動家であったかも知れない。そのことで政治とつながったのかもしれない。

①国会会議録検索システムhttps://kokkai.ndl.go.jp/#/
シナリオライター
この絵を書いたのは、現法政大学教授の山口二郞氏であったように思う。山口教授は、民主党ブレーンとして平成21(2009)年の民主党政権誕生を演出した最大の貢献者とされる政治学者だ。
現在は法政大学教授だが、昭和59(1984)年に北大法学部助手となり、93年に同教授、そして平成12(2000)年から平成26(2014)年まで同大学大学院法学研究科教授であり、附属高等法政教育研究センター長であった。池田氏が北大大学院に入学したときの教授なのである。①
池田氏は大検取得とはいえ中卒だ。普通の感覚では大学を飛ばして大学院に入ろうとは思わない。また大学も池田氏の正味の経歴を知れば採用に強い躊躇があったはずだ。
しかし、このときの山口教授は歴史的な政権交代を成し遂げたばかりの絶頂期。一人を入学させることぐらいは朝飯前であったろう。池田氏の移住から国政挑戦までの全体像が、構想力に秀でた山口教授のシナリオのような気もする。
先に紹介した『日経グローカル』の池田氏インタビュー記事には「(池田氏は)今後は仕事の合間に大学院で学び、意見を発表したいと考える。すでに高齢者福祉施設に関する研究論文が、他の研究者と連名で学会誌に掲載予定という」との記載がある。ここに山口教授の影を強く感じる。
いずれにせよ、この社会人入学により、「学歴」という政治家を目指す池田氏にとって最大の穴は埋まった。
平成27(2015)年12月、町村議員死去に伴う補選に池田氏が立候補を表明すると、政治団体「SEALDs(シールズ)」など5団体が池田氏の支援組織を結成した。結成の記者会見で山口教授は代表格として「『安倍政治を許さない』という大スローガンで戦う最初の舞台。全力投球で戦列に加わる」と強調して、共産党に独自候補の取り下げを求めたという。③
以上は私の推測だが、板橋区福祉事務所の職員であった池田氏の突然の北海道移住とその後のロケットスタートをこれ以外に上手く説明できない。
①山口二郞公式ブログ http://yamaguchijiro.com/
②市民社会民主主義の理念と政策に関する総合的考察」(研究代表者/北海道大学 山口二郎)https://lex.juris.hokudai.ac.jp/csdemocracy/
③「野党共闘求め市民連合 シールズなど 道5区・池田氏支援」(2015/12/21 北海道新聞朝刊)
創作された経歴
誰ひとり置いてきぼりにしない──
すべての人に安心と笑顔を──
とスローガンに掲げる池田氏だが、こんな告発も受けている。
「DV被害者」池田まき衆議院議員 陰湿パワハラ疑惑で本人直撃
https://friday.kodansha.co.jp/article/73211
表と裏のある人物であるように思われる。今、その池田氏のホームページにはこう書いてある。
幼少期に家庭内暴力を受け、一家は離散。中学卒業後、10代で出産し、シングルマザーとして生きる中で、社会の理不尽さを身をもって知りました。その経験が私を福祉の道へと導き、国家資格を取り、14年間にわたり福祉行政に携わる中で、子育てを終えた後、北海道で政治を志す原点となりました。
2014年の初挑戦以来、私が五度にわたり衆院選に挑み続けてきたのは、今なお声なき声が社会にあふれ、人々の尊厳と権利を守る政治が軽視されていると感じているからです。
「中道改革連合」が掲げる「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」。それは、私自身の歩みの中で培われてきた問題意識と深く重なります。五つの花びら(政策)は、この国に必要な花を大きく咲かせるための確かな道標です。https://ikemaki.jp
はたしてこの文章は、一字一句この通りなのだろうか?
近年、政治家の経歴詐称が問題になっている。池田氏に経歴詐称・学歴詐称はないだろう。しかし、その経歴そのものが選挙目当てに組織的に創作されたものであるとすれば、詐称以上に有権者に対する裏切りではないか。
池田氏には、平成22(2010)年に何があったのか。平成23(2011)年から数年間どうやって生活していたのか、真実を明らかにしていただきたい。それは、東京の板橋に多くの人たちを置き去りにしてきたあなたの責任でもある。
