大病で辞職!?
令和7年2月13日に衆院予算委員会で池田氏は質疑を行っている。その議事録がこれである。

まず初めなんですが、私自身が高額療養費のお世話になったことが何度かなりました。これは、大きなけがとか、そういったときにも手術なんかも該当しますし、そして、がんの研究の専門の病院ですね、そこでも二回手術をさせていただきました。そのときに、やはり、二人の子供をシングルで育てていまして、子供たちの進路を諦めざるを得なかったということもございましたし、そして辞職もしました。幸いこうやって命がありますから、あのときのおかげで、治療を諦めなかったというのはこの制度のおかげだと私は感謝をして、今この場に立っています。①

立憲民主党の公式Xでも紹介された
この大病はいつのことだろう? と新聞を検索すると令和5(2023)年3月25日の毎日新聞にこんな記事があった。
統一地方選:知事選候補者の横顔 /北海道 ◇大病経験、社会貢献志す 池田真紀氏 50 無新
1997年から14年間、東京都板橋区の福祉事務所で働いた。「政治家になるとは思っていなかった」が、2009年の政権交代で民主党政権が誕生し、政治に関心を持つようになった。高校無償化や福祉の現場が変わったことを目の当たりにし「政治はすごい」と衝撃を受けた。
北海道に移り住むきっかけは、大病だった。膝や股関節に腫瘍ができた。「命を失ってもおかしくなかった」。つながった命を福祉の現場に役立つことや社会貢献に使いたくなったりした。シングルマザーとして2人の子を育て上げたこともあり、移り住んだ。北海道大学公共政策大学院に入学し、政策を学んだ。
ここで池田氏は「がんの研究の専門の病院ですね、そこでも二回手術をさせていただいた」こと、大病で仕事を続けられなくなったことが、北海道移住のきっかけとなったと明確に語っている。北海道移住が平成23(2011)年であるので、その前年か、もしくは前々年のことだろう。
①国会会議録検索システム>第217回国会 衆議院 予算委員会 第9号 令和7年2月13日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=121705261X00920250213&spkNum=41¤t=-1
②「統一地方選:知事選候補者の横顔 /北海道 ◇大病経験、社会貢献志す 池田真紀氏 50 無新」毎日新聞2023年3月25日
『日経グローカル』の矛盾
ここで疑問なのは、北海道移住の前年平成22(2010)年に発行された『日経グローカル』(2010年10月号)の池田氏へのインタビュー記事だ。ここで池田氏の言葉として次のように語られているのだ。
今年(平成22(2010)年)から上司に働きかけて職場レベルの勉強会を始めた。月に1~2回開き、8人前後が参加する。「マニュアルもない職場なので、気軽に若手の相談に応じる機会を作りたい」という狙いだ。受給世帯の子供向け学習会や、地域で就業の場を得る新しい手法も検討中だ。
ただ、「公務員としての高い倫理観や使命感が必要なのに、ケースワーカーへの配置を修業の場のように考える人事など課題は山積」と感じる。今後は仕事の合間に大学院で学び、「意見を発表したい」と考える。すでに、高齢者福祉施設に関する研究論文が、他の研究者と連名で学会誌に掲載予定という。①
一般的な感覚では「命を失ってもおかしくなかった」という難病と戦っている当事者とは思えない。この手の雑誌のインタビュー記事は事前に校正を本人に確認するのが普通。多くの公務員が読む雑誌で誤った発言をするとは思えないが、そもそも命に関わる膝や関節の腫瘍ならば、周りの人が病気であることに気づかないことは考えにくい。優秀な『日経グローカル』の記者や編集者が病気のことに触れないことが不思議だ。
①『日経グローカル』NO158. 2010.10.18.7p
池田氏の共著論文発見
続いて『日経グローカル』にある「高齢者福祉施設に関する研究論文」を検索し、下記リンクの論文を見つけた。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680487355648
「地域安全学会論文集」(NO13・2010・11)の「特別養護老人ホームにおける事業継続計画(BCP)のガイドライン作成に関する基礎的研究」。鍵屋一氏との共著になっている。池田氏の肩書きは板橋区役所福祉部板橋区福祉事務所、衆議院議員池田まき氏本人に違いない。
注目すべきは「研究手法」(358p)だ。災害対応に先進的なホーム4か所を訪ねてヒアリングを行ったという。
北海道虻田町のA、新潟県長岡市のB、静岡県富士宮市のC、福岡県前原市のDである。これらに対して、第1次ヒアリングは平成21(2009)年8月〜10月、第2次ヒアリングは平成22(2010)年2月〜3月である。これらをまとめて原稿を平成22(2010)年5月29日に提出している。
なお共著者の鍵屋一氏は、現在跡見学園女子大学の教授だが、当時は池田氏の上司として板橋区民文化部に勤務していた①。年は16歳上であり、立場的にもヒアリングのテープ起こしなどの実務は池田氏の分担だったと思われる。
①地域活性化伝道師プロフィールhttps://www.chisou.go.jp/tiiki/dendoushi/siryou/r07/050.pdf
本当に大病を患っての北海道移住なのか
つまり池田氏は、板橋区福祉事務所の職員としての業務、職場での勉強会のほか、少なくとも平成21(2009)年8月から平成22(2010)年5月末までこの論文執筆に追われていたのである。
毎日新聞に語った「『北海道に移り住むきっかけは、大病だった。膝や股関節に腫瘍ができた。『命を失ってもおかしくなかった』。つながった命を福祉の現場に役立つことや社会貢献に使いたくなった」とはどういうことか?
不幸にして重い病を得たとしても、池田氏はこのとき東京都板橋区の職員である。疾病時の社会保障は一般人よりも充実している。病休をとっても給与が保障される。なぜ職場を辞めなければならないのか。子どもが進路を断念しなければならなかったのか。ましてそのことがどうして北海道移住へと飛躍するのかわからない。
池田氏の多忙な職場環境に加えて、論文執筆、部内の勉強会の主催……これらによって燃え尽き症候群に陥り辞職、北海道への転地療養ならば納得はできる。しかし、前掲した2017年11月の『女性自身」のインタビューでは、「北海道大学公共政策大学院で、福祉政策を学ぶため、東京から北海道に移転」となっている。
国会で加藤国務大臣に述べた「がんの研究の専門の病院ですね、そこでも二回手術」とは、北海道知事選においてマスコミに公言し、国会でも発言した公的発言である。いつ、どのようなことがあったのか、どんな病気であったのか。具体内容を明らかにしてもらいたい。この間の経緯については、北海道5区の代議士となる起点として有権者に説明が必要だ。
追記
池田氏は令和8年1月30日の公式Xで公開した「ボランティアさんがつくってくれました『池田まき』」の原点というショートムービーでも病が北海道移住のきっかけだったと表明している。
https://x.com/ikemakihonki/status/2017023609399890079?s=12&t=i8JJJmgCAhPXv5Vg0cXBxg


