衆議院議員池田まきとは何者か ③

池田まきの謎

壮絶な生い立ち

池田氏の東京時代については、自身が語っている。元記事は『女性自身』の平成29(2017)年の記事のようだが、壮絶な生い立ちであったようだ。

DV、一家離散…立憲民主党・池田まき議員が乗り越えた過去 | 政治・行政 | カナロコ by 神奈川新聞
「私が選挙戦で訴えてきた“誰一人置いてきぼりにしない”というスローガンは、当時、私がかかわっていた知的障害のある女性が、言っていたことなんです。彼女は口癖のように、『いつも私は置いてきぼりじゃん、私の人生なのにおかしい』って泣いていてね。そ…


池田氏は「幼稚園に入る前から父親からDVを受けていた」という。父親は母に暴力を振るい続けた。池田氏が中学生になった頃、たまりかねた母が妹を連れて家を出たため、一家は離散。池田氏は祖母の元に移った。

高校生になると「池田さんは、穏やかな家庭を夢見て18歳で事実婚」。つまり高校生のうちに妊娠し、卒業前後に最初の子供をもうけている。そのためか、池田氏は高校中退だ。

そして、20歳で2人目の子どもを産むが、妊娠を知った内縁の夫が膨大な借金を抱えて蒸発してしまったという。蒸発のために正規の離婚手続きが出来ず、借金取りは幼子を抱えた池田氏を襲った。2人の子どもを抱えて厳しい生活が続いた。

詳細はリンクを参照してほしいが、このときの体験が「誰ひとり置いてきぼりにしない」政治を目指す原動力であるという。

その後、池田氏はパートを掛け持ちしながら、職業訓練学校に通い、ヘルパーの資格を取り、福祉の道に入った。中卒だった池田氏は、通信教育で大検を取得し、高校卒業資格を得る。

さらに勉強を続け、社会福祉士から消防士まで7つの資格を取ったという。そして板橋区の福祉事務所に採用となり、公務員としてケースワーカーの仕事に従事したというのだ。

解決しない謎

この話を聞けば、誰しも池田氏の境遇に同情を寄せ、どん底から這い上がった努力を称賛するだろう。そしてこの経歴は「誰ひとり置いてきぼりにしない社会」「『いのち』と『暮らし』をまもる政治へ」という彼女のスローガンに強い説得力を与えるものだ。

しかし、注意したいのは、この生い立ち、このストーリーは、池田氏自身の口から語られたものであり、第三者の証言によって確認されたものではないということだ。

そして、私が疑問として挙げた北海道での政治家としてのロケットスタートを説明するものでも無い。むしろ疑いを深めるのである。

池田氏は、平成23(2011)年に札幌に移住するとフリーソーシャルワーカーとなっているが、どれだけ収入があったか定かでない。それなのに経費が出ていく一方の社会事業を精力的に行い、相応の学費と時間を要する北大大学院に入学した。

議員になるまでの数年間、相当な蓄財を取り崩しての活動と思われるが、板橋区福祉事務所の中途採用39歳の女性職員に、それだけの蓄えがあったようには思えない。まして池田氏は、夫が残したという莫大な借金を抱えていたと述べている。頼りになるのは親類縁者だが、これも一家離散という。

つまり、池田氏の語るストーリーは、なぜ池田氏は移住後数年で政治家としてのロケットスタートを切れたのか、という私の疑問を解決しないのである。もっと東京時代の池田氏を探る必要がある。

日経データベースを検索

唯一考えられるシナリオは、池田氏のそうした体験、どん底から這い上がった努力が評価されて、福祉の業界では名の知れた人物になっていたケースだ。そうであれば、東京時代の池田氏は何度もメディアに取り上げられていたはずである。

そこで日本最大のデータベースである『日経テレコン』にあたった。『日経テレコン』は、朝毎読の三大紙をはじめ地方紙、業界紙、専門雑誌など500以上の媒体を網羅している。もちろん福祉業界の業界誌も含まれている。

この『日経テレコン』で、平成12(2000)年から札幌に移住する前年の平成22(2010)年までの間を検索した。読売、朝日、毎日、産経、日経は地方版も含めて検索したが、驚いたことに池田真紀は、まったく登場しない。そんなことがあるだろうか?

雑誌を含めて検索すると、唯一移住の前年、『日経グローカル』という地方公務員向けの専門誌の平成22(2010)年10月号に、「挑む公務員」というコーナーで取り上げられていた。職場改革に取り組む中堅職員を取り上げた連載で、タイトルは「東京都板橋区職員 池田真紀氏 6資格持つケースワーカー、現状改革に意欲」である。①

①『日経グローカル』NO158. 2010.10.18.7p

行政キャリア2年

この記事で池田氏は

「いけだ・まき」 昭和47(1972)年東京都板橋区生まれ。飲食店勤務のかたわらヘルパー資格を取得、障害者施設勤務を経て97年4月板橋区役所。介護職員、介護指導職を経て06年に生活保護ケースワーカーに」

と紹介されている。間違いなく北海道5区選出の国会議員池田まき氏その人である。こうしたのインタビュー記事は通常本人の確認を取るので内容は確かだろう。

記事は次のように始まる。

生活保護に関する手続きや自立を後押しするケースワーカー。恒常的な人手不足などで現場は疲れ果て、「最も配属されたくない職種」といわれることもある。このハードな仕事を続けながら2010年3月に国家資格の社会福祉士を取得、現在、精神保健福祉士を目指すのが東京都板橋区板橋福祉事務所の池田真紀さん(38)だ。他にも介護支援専門員など福祉・介護などで計6種類の資格を持つ。


そして「民間の介護施設で働いた後、介護の技能系職員として24歳で板橋区に採用。介護業務が廃止されたことなどから06年にケースワーカーの仕事に転じ、09年に行政職への職種転換が認められた」という。①

池田氏が、板橋区の職員となったのは平成9(1997)年。この年に介護保険法が成立し、平成12(2000)年からの実施を受けて、区は介護職員を増強していたのだろう。今と違って民間委託の仕組みが未発達で、区が現業職としてヘルパーを直接雇い入れていたのだ。池田氏が語る14年の板橋区社会福祉事務所の経験のうち9年間は現場のワーカーだったのである。①

それでも、努力家の池田氏は、この間に「ホームヘルパー1級、社会福祉主事、介護福祉士、介護支援専門員、防災士」と資格を取得していく。そして行政職に転じたのが平成21(2009)年という。

移住は平成23(2011)年だから、池田氏の行政職としてのキャリアはわずか2年だけなのだ。しかも、社会福祉士のとなったのは、わずか北海道移住の1年前だ。

この経歴では福祉業界の業界誌にまったく登場しないのもうなずけるが、これでは北海道のロケットスタートの背景が見えない。

①『日経グローカル』NO158. 2010.10.18.7p

深まる謎

それでも後の活躍につながる記述が無いわけではない。池田氏は記事の中で「『異動で毎年職員が入れ替わり、新配属の多くの未経験者が多忙の中できめ細かい対応ができない』と危機感は強い」と平成22(2010)年から職場レベルの勉強会を始めた。そして「受給世帯の子供向けの学習会や、地域で就業の場を得る新しい手法も検討中だ」と言っている。①

しかし、この記述は平成22(2010)年まで池田氏は地域活動をしたことがない、ということを意味しているようにも読める。

そして最後に「『役所に入ってから自己研鑽するのが真の公務員。なんでも言える自由さを生かし、現状を変えたい』と決意を新たにする」と、初々しい福祉職員としての抱負を語っている。

役所の中で現業職と行政職の格差は歴然としている。その壁を乗り越え、苦労して行政職となり、さぁこれからというときの3年目に、すべてを捨てて縁もゆかりも無い北海道に移住するものだろうか?

東京での活躍を唯一伝える『日経グローカル』誌のインタビュー記事は、池田氏の札幌でのロケットスタートの理由を伝えないばかりか、より謎を深めるものだった。

①『日経グローカル』NO158. 2010.10.18.7p

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