洞爺湖サミットと先住民族宣言 ①

北海道百年記念塔はなぜ解体されたのか?

なぜ北海道開拓は〝不祥事〟となったのか

北海道博物館は、石森秀三氏を館長として平成27(2015)年4月に開館した。副館長は道からの出向者で事務方の関下祐二氏。開拓記念館時代に設けられていた学芸部門のトップである学芸副館長は欠員のままスタートするが、平成31(2019)年に元アイヌ民族研究センター研究員であった小川正人氏がその職に就く。館長の石森氏は令和7(2025)年3月に退任するまで館長を務めた。

平成21(2009)年の北海道文化審議会の答申から始まった北海道博物館の開館に至る道のりは、北海道百年記念事業の中核施設として開拓の歴史を将来に伝えるという開拓記念館の理念を排除していく過程であった。最終的に平成25(2013)年4月に石森氏が開拓記念館の館長に就任すると、展示からも開拓が排除される。

北海道博物館の開館は、人員や施設が引き継がれていることから見えにくいが、事実上開拓記念館の解体であった。そのことは同じ記念施設として建てられた百年記念塔の解体と軌を一にするものである。

昭和43(1968)年、北海道はまさに全道を挙げて北海道開拓の精神を顕彰し、その歴史を後世に伝えると誓ったのである。その北海道がわずか50年後、知事自らが先頭に立ってあたかも不祥事であったかのように開拓を公空間から排斥しようとするのか。その動機が解明されなければ、百年記念塔が解体された理由を知ったことはならない。

そのことを探るために、この章では高橋はるみ知事が「北海道ミュージアム」構想を公約として打ち出した平成19(2007)年3月から開拓記念館が解体され、北海道博物館となった平成27(2015)年4月までを俯瞰する。

①『北海道博物館要覧2015』北海道博物館・2015

平成19年知事選から洞爺湖サミットまで

高橋知事が「北海道ミュージアム」を公約とした平成19(2007)年の統一地方選挙を伝える新聞を拾うとこうなる

  • 2007/01/14 08年サミット 誘致方針決定 自民道連、公約に
  • 2007/02/17 道がサミット誘致へ 官邸主導の立候補
  • 2007/02/20 「サミット誘致」伝達 高橋知事 電話で官房副長官に
  • 2007/02/25  <2007統一地方選>自民道連 サミット誘致公約
  • 2007/03/08 サミット誘致を表明 高橋知事 洞爺湖周辺で
  • 2007/03/10 <07知事選>経済構造の転換強調 高橋氏が公約発表

以上は北海道新聞の見出しを列挙したものだが、「北海道ミュージアム」を含む高橋知事の公約発表が洞爺湖サミット誘致の2日後であったことがわかる。さらに時を進めると

  • 2007/04/09  <2007統一地方選>高橋知事再選 知名度高く管内で圧勝
  • 2007/06/06 <ハイリゲンダムサミット>きょう開幕
  • 2007/09/13 国連先住民族権利宣言採択
  • 2007/09/21 アイヌ民族の権利審議機関 高橋知事国に設置要請へ
  • 2007/10/03 先住民族認めよ 道ウタリ協会 与野党に要請
  • 2008/03/27 アイヌ民族を先住民族と認めよ 道議会関係議員が超党派の会を設立
  • 2008/05/20 国連人権理事会 アイヌ民族との対話勧告
  • 2008/05/23 アイヌ先住民族案を了承 超党派議連*来週中に決議の方針
  • 2008/06/01 道開拓記念館 総合博物館に改編*道方針 2011年めど
  • 2008/06/06 アイヌ民族は先住民族 衆参、全会一致で決議
  • 2008/07/02  先住民族サミット 権利回復へ連帯誓う G8直前にアピール
  • 2008/07/07 洞爺湖サミット開幕

平成19(2007)年4月の高橋知事の再選以降、国連での先住民族権利宣言、国会での先住民族決議と、洞爺湖サミットまでの短い間に矢継ぎ早にアイヌ民族に関わる重大事が続いたことがわかる。

高橋知事が道文化審議会に対して、アイヌ文化の普及を念頭に北海道開拓記念館のあり方を諮問した平成20(2008)年5月23日は、今津寛自民党道連会長が会長を務めるアイヌ民族の権利確立を考える議員の会が翌月の6日に決議されることになるアイヌ民族を先住民族とすることを求める決議の原案を了承した日であった

北海道文化審議会が開拓記念館の解体に向けた検討とアイヌ民族の復権はパラレルであった。

①これら新聞見出しは記事データベース『どうしんDB』(北海道新聞)の検索結果から
②2008/05/23 (金) 北海道新聞夕刊全道

洞爺湖サミット決定の経緯

サミット会場として洞爺湖が挙げられたことに関する最初の新聞報道は、平成18(2006)年12月31日の道新朝刊である。このとき道新は「二○○八年に日本で開かれる主要国首脳会議(サミット)の開催地をめぐり、政府・与党の一部で胆振管内洞爺湖の高級リゾートホテルでの開催を推す声が出ていることが三十日、明らかになった」と報じた。しかし、財政難の道は慎重姿勢であったと伝えている。

明けた1月13日、4月の統一地方選挙をにらみ自民党道連は北海道に誘致する運動を展開していく方針を決めた。この時点で関西3府県と神奈川・新潟両県連合、岡山・香川両県の3地域が誘致合戦を繰り広げていた。しかし、高橋知事は「引き続き慎重に検討していく」といって消極姿勢を崩していない

2月15日、塩崎恭久官房長官は定例記者会見で、6月6日からのドイツ・ハイリケンダムサミットまでに会場を決定すると表明。翌日道新は「道が十六日、二〇〇八年の主要国首脳会議(サミット)の開催地として、胆振管内洞爺湖町周辺を想定して誘致に乗り出す方針を固めた」と報じた。党の政調会長の要職にあった中川昭一代議士の後押しがあったという

2月20日、高橋はるみ知事は、的場順三官房副長官と電話で会談し、財政負担に配慮してもらうことを前提にサミット受け入れの意向を伝えた。そして3月7日にサミットの洞爺湖招致を正式に表明する。政府による正式決定は4月24日だが、この年の北海道知事選挙が3月22日に告示され4月8日が投票であったことを配慮したものとされる。

以上が、2008洞爺サミット招致決定までの経緯だが、これは自民党とマスコミがこしらえた表向きのストーリーで、洞爺湖でのサミット開催は2005年の段階ですでに決まっていたのではないかと思われる。

①2006/12/31 (日) 北海道新聞朝刊全道(総合) 
②2007/01/14 (日) 北海道新聞朝刊全道(総合) 
③2007/02/16 (金) 北海道新聞朝刊全道(総合) 
④2007/02/17 (土) 北海道新聞朝刊全道(総合) 
⑤2007/02/20 (火) 北海道新聞夕刊全道(総合)

国際テロとサミット

会場のウィンザーホテル洞爺は平成5(1993)年にカブトデコムによりホテルエイペックス洞爺として開業したものだが、バブル崩壊でカブトデコムが破綻。その後、セコムグループに買収された。

エイペックス洞爺の買収を進めたセコム創業社長である飯田亮最高顧問は、小泉純一郎内閣の総合規制改革会議の委員を務めるブレーンで、森元首相とも懇意であった。森元首相は、この当時サミットの開催責任者であった安倍晋三首相が所属する派閥清和政策研究会の長である。この飯田氏は、同地をよく知り、サミット誘致に向け早くから働きかけていたという

かつてのサミットは開催国の首都で行われていたが、2001年9月11日の米国における同時多発テロを機に警備の容易な保養地での開催が主流となった。日本では、昭和54(1979)年・昭和61(1986)年・平成5(1993)年が東京での開催で、平成12(2000)年が沖縄である。

9・11以降、対策が進み大規模な国際テロは抑えられていたが、2005年7月に英国ロンドンの地下鉄で同じ爆破テロが起こり52名が死亡、10月にはインドネシア・バリ島で20人が死亡するテロが起こった。なかでもロンドン地下鉄テロは、アルカイダが関わっていたと見られ、9・11以降最大のテロとして世界を震撼させた

2008年にサミットが予定されている日本の警備関係者にも衝撃が走ったことだろう。この時点でアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンは存命であった。日本開催のサミットでテロが起こることは政府関係者、警備公安スタッフにとって考えうる最悪の事態である。9・11を引き起こしたアルカイダがロンドンでその力を示すと、警備の容易さが候補地要件の筆頭になったことは想像に難くない。

平成19(2007)年2月8日の道新は「洞爺湖サミット 政府・与党から待望論 警備で利点 名乗り上げれば最有力」との見出しで、「政府・与党内では警備対策から胆振管内洞爺湖町を有力候補地として推す声が高まっている。『道知事はなぜ誘致に名乗りを上げてくれないのか』(政府筋)と知事の決断を促す声も出ている」との政府関係者の声を拾い、政府の中で洞爺湖が唯一無二の候補地として認識されていたことを伺わせる

前年に続発したテロ事件が洞爺湖を見下ろす小山の上に立つウィンザーホテル洞爺をサミット会場に押し上げたかたちだが、正式決定が平成19(2007)年4月となったのは、統一地方選挙で自民党に花を持たせるという配慮もあったのだろう。

高橋候補は、知事としてサミット受け入れを表明した2日後に北海道ミュージアムを含む公約を発表している。公約集にサミットについて直接の言及はないものの「『世界の中の北海道』として各国との経済・文化交流を盛んにし、豊かで実りのある地域をつくります」など、各所にサミットを前提とした文言がちりばめられている。

平成20年4月8日の開票で次点の荒井聡氏を大きく引き離した高橋知事は、サミットが近づくにつれてアイヌ民族に傾注していくのである。

①産経デジタル『ZAKⅡ』「大前研一のニュース時評 コム創業者、飯田亮さん逝く」https://www.zakzak.co.jp/article/20230122-TDWBAVSMXFLIJDWPPR3553TUDA/
朝日新聞デジタル>ニュース特集>ニッポン人脈記> 記事「『バブル残骸』頂上の舞台」https://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200803310182.html

②公安調査庁> 国際テロリズム要覧 (Web版) > 主な邦人被害テロ事件 https://www.moj.go.jp/psia/ITH/topic/Japanese_suffer.html
③2007/02/08 (木) 北海道新聞朝刊全道(総合)

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