【MY Opinion】私の陳情書—条例は物理的障がい者への差別

My opinion (読者投稿)

2025/02/11 Written by イカスミ

 審議会の議事録を拝読いたしました。回が進むにつれ、様々なマイノリティ集団の間の齟齬が明らかとなってきました。ついには、本条例が、いわゆる障がい者(身体および精神、以下物理的障がい者と呼ぶ)を隠れ蓑にして、自称マイノリティの人達を条例で保護し、そのうえで分断と軋轢を増幅させるものであることがわかりました。本条例は、自称マイノリティの人達への法的根拠なき優遇であり、他方、物理的障がい者を蔑ろにする差別となっています。

 そもそも共生社会の前提として、本条例では「違い」を強調しています。違いを抱えた人たちが違いを乗り越えて共生しようと謳っている。しかし、もって生まれたその「違い」から逃れることは叶わず、つらいながらも元気に生きようと奮闘している物理的障がい者の人達がいます。あるいは事故や病によって身体的障がいを抱えた人もいます。そうした人たちにとって、「違う」けど共生しよう、と言われるのはうれしいことでしょうか。むしろ、あなたたちは「違うんだ」と「違い」を突きつけていることに他ならないのではないでしょうか。しかし「違う」自分を、自己のアイデンティティとしてあえて選ぶ人もいます。人とは「違う」自分を大切にしたい、と人と「違う」ことを自己のアイデンティティの一部として、拠り所にしている人もいます。その人たちにとって「違い」は、もちろん切実なものには違いないでしょうが、絶対に逃れられない生の条件、というようなものではありません。物理的障がい者の方々に比べたら、選択の自由のある、少しばかり贅沢な属性ともいえるかもしれません。その属性ゆえに、どんなに努力しても阻害されてできないこと、というのは今の日本には基本的に存在しないからです(才能がないためにできないことは誰にとってもありますがそんなことは問題になるはずもありません)。外国人も、自分の国に帰ればマジョリティ、自らの意志で札幌にやってきている人たちです。どうあがいても障がいや病から逃れることのできない人たちとは、条件があまりにも違いすぎます。当事者は誰もがなりうる、という文言には、物理的障がい者の「違い」を希薄化し問題を矮小化しようという、傲慢さが透けて見えます。それがどんなに物理的障がい者の方々にとって残酷なことなのかは、議事録に記されています。障がい者の立場を代表されている浅香委員は、「違い」を強調してほしくない、と「違う」という文言を消去するよう求めておられます(第4回議事録)。

 本来、共生社会(?)の理想とは、互いの「違い」など意にかけない状態になることのはずです。これは巧まずして、相内委員がこれこそが本当のノーマライゼーションだ、としてあげられていた事例にも重なります。以下、引用します。

とある小売店のパートの女性の方ですが、障がいのある方の就労支援において、僕より年上の精神疾患といいますか、知的障がいの方に対してすごくいい声かけをしてくれていた事例があったのですよね。落ち込んでいるときに必ず励ましの言葉をかけてくれていまして、すごいなと思って、どういうバックボーンのある方なのかなと思ってそのパートの女性の方にお話を聞いたのですが、僕が全く予想していない答えが返ってきました。精神障がいや知的障がいのことは全く分からないし、分かるつもりもないけれども、同じ仕事をしている仲間が落ち込んでいたら励ますのは当たり前だから、それは励ますでしょうと言っていたのです。ああ、これが究極のノーマライゼーションだなと思いました。それは共感に基づくものではないのです。先ほど浅香委員が言っていましたが、まさに違いを理解した結果、そういうことをしていたわけではなく、人間なのだからという思いでそうやられていたのです。多分、これが一番大事なことなのでしょう。(第4回札幌市ユニバーサル推進検討委員会(令和6年8月30日)議事録)

https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/iinkai/documents/iinkai04-gijiroku.pdf

 ここで相内委員が語られている状態こそが、札幌市が目指すべき差別や偏見のない、望ましいあり方でしょう。共感に基づくものではない、とさえおっしゃっています。「違い」をよりどころにしたうえでの共感、などではなく、「違い」などどこかに吹き飛んだ、「同じ」人間なのだから、という前提に基づいた相手への思いやりこそが、一番大事なことだ、と審議会の委員がおっしゃっているのです。

 「違い」を強調してほしくない、文言を消し去ってほしいと願う人たちがいる一方、マジョリティとは異なる自分、「違う」自分を拠り所とする人たちがいる。両者の齟齬はあまりにも大きく、議事録からも亀裂が透けて読み取れるところまできています。かくのごとく、存在の前提が逆方向を向いている人たちを一緒くたにして、同じ籠に盛るような本条例は、様々な当事者を乱暴にひとまとめにして網をかけながら、その当事者のそれぞれへの想像力を欠き、適切な配慮もなされていない片手落ちの条例です。結果として、「違う」のを強調されるのはいやだ、「違う」自分を突きつけられるのがつらいと思う人々を、本質的には蔑ろにし、踏み台として利用することになっている本条例は、札幌市が目指すべき共生社会にはふさわしくないものと考えます。

 この条例を制定しないことを強く懇願するものであります。

 末筆ながら、病身をおして審議委員を務めておられた牧野委員のご逝去につきまして心からのお悔やみを申し上げます。

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