「共生社会推進条例」成立阻止に向けて市民の声を議会に届けるべくキャンペーンを行っているところですが、みなさまの参考として1月29日に提出した北海道セカンドオピニオンの陳情書を公開します。しかるべき時まで公開を控えようと考えていましたが、今がしかるべき時と判断しました。きわめて長文の陳情書となっていますが、通常の陳情書はA4一枚に収まるようなものなので、この陳情書は異例です。条例についての問題把握にお役立ていただければ幸いです。
なお、みなさまにも札幌市議会議長への陳情・要望書の提出をお願いしています。提出方法等は下記リンクをご参照ください
https://hokkaido-so.com/?p=320
(要旨)
「(仮称)札幌市誰もがつながり合う共生のまちづくり条例」の制定しないことを求めます。
(理由)
札幌市は令和7年2月の第1回定例会で「(仮称)札幌市誰もがつながり合う共生のまちづくり条例」(以下「共生社会推進条例」)の制定を目指しています。札幌市公式サイトで公開されている条例案を読む限り、地方自治法と住民自治の原則への抵触、憲法上の疑義も認められる内容となっており、条例にふさわしくないと考えられるため、制定しないこと、またはゼロベースでの抜本的見直しを陳情します。その根拠を別紙に列記します。
(別紙)
なお、別紙で「本書」と記すものは、令和6年12月17日開催の「札幌市ユニバーサル推進検討委員会第5回検討委員会」に提示された「資料4パブリックコメント資料(抜粋・修正版)」と題した資料の7〜18枚目「(仮称)札幌市誰もがつながり合う共生のまちづくり条例(素案)【本書(修正版)】」を示します。また「素案」と記すものは、「本書」6ページ以下の「3 どんな条例になるの? ——条例の素案——」を示します
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/documents/iinkai05_07shiryo4.pdf
共生社会推進条例は立法事実の要件を満たさないこと
条例は法律に準じるものですが、法律の制定について判例(旧薬事法違憲最高裁判決S50等)は、条例の目的と手段を基礎付ける「立法事実」を要求しています。しかし、「共生社会推進条例」は「立法事実」を欠いているというべきです。
「本書」1・4ページおよび「素案」の「1前文」から「共生社会推進条例」は、札幌市の、①高齢化、②障がい者、③少子化、④グローバル化、⑤地域意識、⑥男女共同参画、⑦LGBTQ、⑧在留外国人、⑨アイヌ民族といった課題について、「共生社会」を実現することで解消を図ることが「立法事実」と理解できます。
「立法事実」は、立法の必然性の具体的根拠を求めますが、①〜⑨について「本書」1pの「(2)札幌市の状況」で概説しているものの、「これらの多様な課題はそれぞれが絡み合い、複雑化・複合化しています」と述べるにとどまり、複雑化・複合化した結果、どのような社会課題となっているのか、は示されていません。
「素案」の「2目的」で「立法事実」の要件である立法目的を示していますが、「共生社会を実現するために共生社会をつくる」としか書かれていません。「立法事実」として示されるべき目的がなく、手段が目的化しています。
さらに、①〜⑨の多岐にわたる領域の課題を「共生社会」という単一理念で解消できると期待するのは無理があります。③少子化が進む背景、⑤地域意識の希薄化には、④⑥⑦による家族観や価値観の多様化があることは指摘されており、①高齢化や②障害者が求める「共生社会」と、⑦LGBTQや⑧在留外国人が必要とする「共生社会」は、同じ字面であっても内容が大きく異なります。
そうであるにもかかわらず、あたかも〝共生社会の実現によってすべての社会課題が解消する〟かのように言うことに、具体的根拠に基づく合理性を有すべき立法事実としての妥当性を認めることは困難です。
共生社会推進条例の「共生社会」には矛盾があること
「共生社会推進条例」は、高齢者と障がい者、そしてLGBTQ・外国人・アイヌ民族といった人たちを、〝生きづらさ〟を抱えた同じ立場の人々として捉えています。
高齢化社会の中で障がい者になる方は増えており、「地域共生社会」の実現は今日的課題です。一方、LGBTQ・外国人・アイヌ民族といった人たちが暮らしやすい環境づくりも国際化が進む中で求められている課題です。そしてこれらの人々の環境づくりも「共生社会」と呼ばれているのは事実です。しかし、両者は同じカテゴリーに入れるべきではありません。
令和6年8月の「第4回ユニバーサル推進検討委員会」で、札幌市身体障害者福祉協会長の浅香博文委員は、「違いを理解する、認め合うということは、違うのだよと逆の方向から言っているような気がするのです。ですから、少なくとも違いという言葉を入れないでほしい」と求めています。「本書」4pでは「違いを尊重する」ことが「多様性を尊重したまちづくり」と主張していますが、障がい者の中には「違い」が苦痛である人たちもいるのです。
高齢者や障がい者の方は、先天性によるもの、または高齢化や病気や事故による機能低下や喪失を抱えています。その〝生きづらさ〟は主にご自身の心身に由来するものです。一方でLGBTQ・外国人・アイヌ民族といった人たちの〝生きづらさ〟は主にその方をとりまく社会に由来します。
論を進めるため便宜的に前者をAグループの人々、後者をBグループの人々といいます。
同じ「生きづらさ」を抱えた人たちであったとしても、Aグループの人々とBグループの人々と同じカテゴリーに入れることで問題の個別性が失われてしまう恐れがあります。
高齢者や障がい者などAグループの人々は発言力が弱くなりがちで、Bグループは社会に対して批判を向けがちとなります。「共生社会」実現のかけ声の下、Bグループの主張が注目されやすくなることは現実的に想定しうることで、ここから施策がBグループに偏ってしまうのではないかとの懸念が生まれます。そのことからくる軋轢や制度的、政策的な不均衡も心配されます。
共生社会推進条例の目的は市民憲章の推進で足りること
「共生社会推進条例」は、一つにしてはならない人々を「共生社会」という単一概念で括っていますが、条例が実現を目指す「共生社会」はどのようなものなのでしょうか。「共生社会」について、「素案」の「3定義」では「差別や偏見がなく、誰もが互いにその個性を尊重され能力を発揮できる、多様性と包摂性が強みとなる社会」としています。
「包摂性」という文言は、国語辞典には載っていない文言で、一般に広く認識された日常語とは言えず、しかも条例には定義もありません。法令用語として「包摂性」は不適切です。
強いて「包摂性」の語義を探せば、「本書」5ページの欄外に「【包摂的】ここでは、全ての人を排除せず、取り残さないさまをいう」との脚注があります。これらから、「共生社会推進条例」が実現を目指す「共生社会」とは、①差別や偏見がない、②個性が尊重され、能力を発揮できる、③排除されない、取り残されない、④多様性がある社会であり、⑤そのことが「強みとなる社会」と解されます。
「共生社会推進条例」が実現を目指す「共生社会」とは、端的に言えば「相互理解に基づく互助互恵社会」です。特段新しいことではなく、ごく一般的な社会道徳、社会倫理です。「共生社会」というと何か特別な印象を持ちますが、さまざまな背景を持つ人々を単一概念で括ろうと無理をした結果、ごく一般的な社会倫理にならざるを得なくなったのです。
また⑤「強みとなる社会」も内容が判然としません。「強み」とは何なのか。条例の立法事実としては「強み」の内容を具体的に示し、①〜④がその「強み」につながる蓋然性を示すべきです。
市民が目指すべき社会倫理として札幌市には、昭和38年制定の「札幌市民憲章」があります。「共生社会推進条例」が求める社会倫理は、すでに「札幌市民憲章」の中に示されています。「共生社会」の実現を目指すならば、「札幌市民憲章」の一層の推進で十分です。
「札幌市民憲章」は当時の市民の総意でつくられたものであり、その後60年以上にわたって札幌市民の精神的支柱となってきました。条例は法律に準じる強制力を持ちますが、憲章にはそのような効力はありません。わずか14名のユニバーサル推進検討会議委員が5回程度審議しただけの「共生社会推進条例」が「札幌市民憲章」を駆逐することに反対します。
共生社会推進条例が条例の範疇を逸脱していること
「共生社会推進条例」は「相互理解に基づく互助互恵社会」の推進を目的とするものですが、一般倫理の条例化には強い疑義があります。
条例は法律に準じるものであり、法律は強制力を伴う社会規範です。それだけに条例は必要最小限でなければなりません。
地方自治法第14条は「法令に違反しない限りにおいて第二条第二号(地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるもの)の事務に関して条例を定めること」としています。すなわち条例の制定には、「条例の属地主義の原則」といって地域に特化した固有性が求められているのです。
しかし、「共生社会推進条例」が実現を目指す「共生社会」の内実は一般社会倫理の普及でしかなく、属地主義の原則からしても条例には馴染みません。それでも札幌市が「共生社会」を推進したいと望むならば、法的拘束力を持たない「宣言」を検討すべきです。
共生社会推進条例が行政改革に逆行すること
「共生社会推進条例」は「理念条例」と呼ばれるもので、札幌市には同じ「理念条例」として、「札幌市自治基本条例」「福祉のまちづくり条例」「札幌市男女共同参画推進条例」「札幌市子どもの権利条例」「市民まちづくり活動促進条例」等があります。
「本書」の「4他の条例等との関係性」では、これら関連条例・関連計画について「共生社会推進条例」と整合性を図らなければならないとしていますが、前述したように概念が広すぎて立法事実を欠き、整合性を図る指標になりません。
令和5年度に策定された「札幌市まちづくり戦略ビジョンアクションプラン2023 行政運営の取組」は、行政コストの最適化による効率的な行政運営の実行を求めています。「共生社会推進条例」の制定は、行政改革の観点からも再考すべきです。
なお、「素案」の「3定義」で、市民を「市内に住所を有する個人及び市内に通勤し、又は通学する個人その他の市内に滞在する個人」としています。「その他の市内に滞在する個人」を含むことで、札幌市の最高規範である「札幌市自治基本条例」が定義する市民を超えています。この「その他の個人」が、外国人旅行者のような一時滞在者まで含むのならば、条例の属地主義の原則に反します。
共生社会推進条例が社会混乱を起こす懸念があること
「共生社会推進条例」は「障がいの社会モデル」を採用しています。この考えは障がい者福祉の領域で発展してきた考え方です。すなわちAグループの人々との間で発展してきたものなのです。しかし「共生社会推進条例」は、これをBグループの人々にまで拡張しています。
「障がいの社会モデル」は、「個人の心身機能の障害と社会的障壁(物理的、制度的、文化・情報面及び意識上)の相互作用によって障がいが創り出される」(「本書」5P)とする考えですから、Bグループの人々にこれを適応すると、「社会的障壁」、なかでも制度や文化、意識の領域ばかりが強調されていくことになります。
実際に「素案」の「8基本政策」は、「意識上の障壁」に偏重した内容となっています。これにより、市民の意識変容(思想統制)が共生社会推進施策の大きな目的となっていき、広報や啓発事業の肥大化が懸念されます。啓発のために本来Aグループの人々に向けられるべき行政リソースが割かれるようなことがあれば本末転倒です。
さらに、特定の活動団体に委託業務が集中・継続することが懸念され、「共生社会」の名を借りた特定思想の普及に悪用される危険もはらんでいます。社会の中でBグループの一部の人々の主張ばかりが大きくなり、行政の思想団体化、社会面・文化面での混乱を生み出しかねません。
「共生社会推進条例」の中で最大の問題は、このような事態を抑制するブレーキのないことです。
共生社会推進条例が「地方自治の本旨」に背くものであること
「共生社会推進条例」が一般倫理を努力義務として市民に強要することは、憲法第92条の「地方自治の本旨」に背くものです。
「札幌市自治基本条例」は、「本市のまちづくりの最高規範」(第3条)として「共生社会推進条例」の上位に位置しますが、この第4条で「まちづくりは、市民が主体であることを基本とする」と「住民自治」の原則を規定しています。
このような「住民自治」の原則から「理念条例」は、行政運営の指針として施策の基本的な考え方、姿勢や枠組みを示すことで、行政を規制するものと解されています。「理念条例」においては、市民や事業者に努力義務を課す「責務条項」を設けることが一般的ですが、それでも市民に対する「責務条項」が条例の中心であってはなりません。
近年、市民に対する「責務条項」を設けた「理念条例」は増殖傾向にありますが、運用を誤ると「責務条項」は、行政がはたすべき責任を市民に擦り付けることにつながります。安易な「理念条例」の増殖は止めるべきです。
しかし、「共生社会推進条例」は、暮らしの〝あらゆる場面〟で市民が「共生社会」の実現に努め、市の施策に協力することを規定しており、「共生社会」という行政が推進する万能の理念に対して上意下達式に市民を従わせるものです。行政は思想団体であってはなりません。戦前の国民精神総動員体制のもと、地方公共団体が思想団体化したことの反省の上に、現在の地方自治制度があることを忘れてはなりません。
共生社会推進条例が憲法に抵触する疑いのあること
日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めています。また憲法15条は、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」としています。「共生社会推進条例」は、憲法のこれらの条文に抵触する疑いがあります。
「共生社会推進条例」の「共生社会」が「相互理解に基づく互助互恵社会」という一般社会倫理を意味しているとの理解で論を進めてきましたが、この「共生社会」は欧米由来のDEI(多様性・公平性・包摂性)イデオロギーを日本語に置き換えたものである、との指摘があります。「共生社会」の定義に日常語として定着してもいない「包摂性」という文言があえて用いられているのもそのためだ、というのです。
DEIイデオロギーは、マイノリティとマジョリティの二分法に基づいた社会思想であり、アメリカではBグループの一部の人々の主張が大きくなりすぎて、甚大な社会混乱を引き起こしています。それは【6】で指摘した社会混乱と同じものです。
アメリカでは、DEI見直しの動きが広がっています。米「ベストカレッジズ誌」の2025年1月22日付けのレポートによれば、学校や公共機関での「多様性・公平性・包括性(DEI)プログラム」の禁止または廃止を求める反DEI州法が、全米のほぼ半数の州で提出済み、または草案作成中で、12件が法律として成立しています。

2025年1月20日に就任したトランプ大統領は、その日に「ENDING RADICAL AND WASTEFUL GOVERNMENT DEI PROGRAMS AND PREFERENCING」(過激で無駄の多い政府のDEIプログラムと優遇措置の廃止に関するアメリカ大統領令)を発しました。これは全ての政府部局にDEI撤廃を求めるものとなっています。
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/01/ending-radical-and-wasteful-government-dei-programs-and-preferencing/
令和6年11月に行われた「共生社会推進条例」のパブリックコメントでは2068件の意見が寄せられ、このことを懸念する反対意見が圧倒的多数を占めました。令和6年12月17日の「第5回ユニバーサル推進検討委員会」に提出された「資料1」の「条例素案全体に関する意見」では、「本条例は社会の混乱、分断等につながる懸念がある」の81件をトップに、条例に対して反対や疑問を示す否定的意見は319件あったのに対して、肯定的意見はわずか2件でした。
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/iinkai/documents/iinkai05_04shiryo1.pdf
令和6年3月の「第3回ユニバーサル推進検討委員会」で山内ユニバーサル推進室長は、「先ほどバックラッシュという言葉もありましたが、そういう話につながっていくのかなと感じました。我々のチームの中でもそれは非常に意識していまして、この人だったらどう考えるか、この人だったらどう考えるのかと、様々な方の立場について考えながら言葉を整理し、まずはここまでたどり着けたと思っております」と述べています。
文脈から世界的なDEIへの反動(バックラッシュ)を意識したものであることは明らかですが、この条例が事実上のDEI条例であると指摘されないように言葉を整理した、とも聞こえます。行政当局が批判を受けたくないためにDEIを隠しているとしたら、市民に対して背信的です。
共生社会推進条例が定義する「共生社会」が、マイノリティとマジョリティの二分法によって社会を規定するDEIイデオロギーに基づくものなのか、それとも一般社会倫理を示しているだけなのか、執行機関を監視する責務のある市議会は審議する必要があります。
日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めています。「共生社会推進条例」の「共生社会」が、DEIイデオロギーを意味するものであれば、法律に準じた条例によって、社会の分断をもたらしているイデオロギーを市民に強いることは、憲法19条に抵触することは明らかです。
令和6年8月の「第4回ユニバーサル推進検討委員会議」で山内ユニバーサル推進室長は、「我々もこの取組をやる中でどうしても相入れない部分といいますか、分かってほしいけれども、分かってもらえないところはどこまで行ってもきっとあるのだろうなと思っています」と述べています。策定者が〝どこまで行っても分かってもらえない〟と認識する条例を、札幌市の主権者である市民として認めることはできません。
賛否の分かれるイデオロギーを行政が推進することは、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」として行政の不偏不党を定めた憲法15条に違反します。国権の最高法規である憲法を超えた条例は制定できません。
以上のように、「共生社会推進条例」の原案には多大な問題があります。これをそのまま条例として制定してよいのでしょうか。今こそ議会の良識が問われるときです。
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