マジョリティにある無意識のバリアを撲滅せよ

札幌市共生社会推進条例

第2回札幌市ユニバーサル推進検討委員会(令和5年12月18日)議事録ピックアップ

Text KAIDO takumi

第2回検討委員会では、前回のマイノリティ対マジョリティの分断議論を発展させ、マジョリティの中にある無意識領域を問題にし、子どもへの思想教育、差別的取扱の罰則規定、マイノリティが共生社会の進捗を検証する仕組みの設置などが提言されました。これを受け市側は「イメージがはっきりと見えた」と応えました。

第2回委員会は、前半は、条例の全体構成、各項目のキーワード、前回会議での関連発言がまとめられた資料をもとに感想を述べ合うもの。後半は、共生社会推進条例の実行計画で、ほとんど出来上がっている「ユニバーサル展開プログラム(案)」についての意見を述べるものです。

第2回札幌市ユニバーサル推進検討委員会の議事録
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/iinkai/documents/iinkai2-07-gijiroku.pdf
【資料2】(仮称)共生社会推進条例の構成イメージ
https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/iinkai/documents/iinkai2-02.pdf
【資料6】ユニバーサル展開プログラム(案)【本書】https://www.city.sapporo.jp/kikaku/universal/iinkai/documents/iinkai2-06.pdf

恐怖を乗りこえることが共生社会の第一歩

前半の「【資料2】(仮称)共生社会推進条例の構成イメージ」の説明で、事務局の松原推進担当課長から「仮称)共生社会推進条例」を「具体的な名称については、今後、条例案がある程度固まってきた段階で改めて検討したい」と条例名の差し替えが表明されました。

資料に対する若干の質疑の後、梶井座長から「特にこういうものを入れてほしい」との呼びかけがありました。すると山口委員が手を挙げて、「自分が言たいことを4点にまとめた」として発言を求めます。

○山口委員 子どもにも分かるような言葉で条例を書くということに私は大賛成です。

二つ目は、マイノリティー同士がつながっていくことについてです。マイノリティーとしての私の生きにくさは、外国人、アイヌの人たち、子ども、高齢者、LGBTQの人々と共通することがたくさんあるはずです。

三つ目は、自分の中のマイノリティー性を発見し、それによる共感という考え方です。自分と共通点があると思うことから心の距離が縮まると私は思うのです。

自分がマイノリティーであることを認めるのは、多分、恐ろしいと思うのです。特に同じであることをよしとする日本で育ってしまうと、常に強いマジョリティーでいたいと思いたくなるのです。その恐怖を乗り越えることが共生社会の一員となる第一歩ではないかと私は考えています。

全ての側面において、マジョリティーであり続けられる人はいないと私は思っていて、逆に全てがマジョリティーである人がいたら、それゆえにマイノリティーとなるのです。自分のマイノリティー性を受け入れて、そこから共感していく、これを基本理念に盛り込むことはできませんでしょうか。

なお4点目は「どこかに偏りや負担がある世界ではなく、全てのバランスが、調和が取れたよい状態を目指すこと」を目標すべきという提言でした。

この山口氏の巻頭発言によって第2回目も、マイノリティ対マジョリティの視点から「共生社会」が語られていきます。

山口氏は「共生社会の一員になるためには自分の中のマイノリティを認める恐怖を克服することだ」と主張します。共生社会を実現するためには、マイノリティと呼ばれる一般市民には大変な苦役が課せられそうです。

親からの間違った刷り込み

山口氏はどのようなマイノリティ観をお持ちなのか疑問ですが、梶井座長は「四つの大きな点についてご提示をいただきました」と評価して次の発言を求めます。すると前回欠席した牧野委員が発言を求め、無意識の領域を問題にします。

○牧野委員 知らないでいることや親から刷り込まれたことが自分の今の理解になっているところが多くて、間違って刷り込まれていたり、よかれと思ってやっていることが逆にバリアになっていたりということもたくさんあるのです。

子どもの頃から、そうした意識や気づき、自分とは違う誰かに対する思いやりのほか、想像して行動するということがすごく大事ではないのかなと思っていまして、子どもたちへのそうした教育にすごく力を入れていただきたいと思います。

無意識の領域から「バリア」を取り除くためには、子どもの頃から教育が大切だと主張して、そのことを条例に盛り込むよう求めます。

差別的取扱の禁止条項を

LGBTQの当事者である柳谷委員からはかなり衝撃的な発言があります。

○柳谷委員 今、LGBTQの人たちは、同性同士でも子育てしている方がおりますし、小学校や中学校のお子さんを同性のゲイのカップルやレズビアンのカップルで子育てしている方もいます。

トランスジェンダーであるということで職場を解雇されてしまったり、就職を断られてしまったり、そういったことが本当にたくさんあるのに、それが表に出てきづらい現状があるのですね。

当事者が何で生きづらいのかや差別の現状がまだまだ見えづらいところがあって、学校や職場で本当に多くの当事者がカミングアウトできないということがあります。

山梨県の条例は、差別的取扱いの禁止、また、教育に関わる者の責務ということで、結構はっきりと文言入れてつくられているかなと思うのですね。差別をなくす意味合いで、こういったことは禁止しますというような文章を入れていただけたらすごくいいのかなと思いました。

柳谷委員は、LGBTQの人たちがカミングアウトしにくいのは、そうすることで不利益を受けるからで、そのことを禁止する条文が必要だと主張しています。不利益が法律的に禁じられれば、カミングアウトもしやすくなるというのです。

子供と大人の世代分断

この後、「共に創るような表現があるとよりいい条例になる」「みんなが笑顔で過ごせる社会であってほしい」という当たり障りのない発言が続いたあと、相内委員は「アンコンシャスバイアス」と「マイクロアグレッション」の二つの概念を持ち出し、無意識の中にある差別を撲滅するためには、子どもの頃からの教育が大切だと主張します。

○相内委員 アンコンシャスバイアスといって、無意識の差別は誰でも持ち得てしまうものだという気づきを与えるような内容が欲しいなと思っていました。

誰でもその偏見を持っています。しかも、それが無意識なのです。共生社会を目指している人たちであっても無意識な偏見を持ってしまうということがあると思っています。

最近だとマイクロアグレッションという言葉も出てきていますけれども、時と場合と関係性によっては差別的な発言になってしまうかもしれないという意識を持っておくことだけでもいろいろなことが避けることができると思うのです。

無意識の偏見を持ちやすくなってしまうというのは、まさに、前回、座長がおっしゃってくださいましたが、子どもにこそ、子どもの時期にこそ伝えたいと思っています。条例という性質上、条文に入れ込むのは難しいのかもしれないですけれども、アンコンシャスバイアスだけではなく、未来を担う子どもたちに向けた文章をどこかに設けたいのです。

条例なので、みんなが受け止めてくださいねということなのですけれども、人の偏見を君たちが是正してくれるみたいなメッセージを入れられたなと思います

相内委員の発言から、一定世代以上の人たちの倫理観をまったく信用していないことがわかりますが、ここにおいてマイノリティ対マイノリティの分断は、大人世代と子ども世代への分断につながっていきます。

「忠」「孝」の倫理は、日本人が何百年に渡って受け継いできた大切な倫理ですが、そうしたものを教育によって子ども時代に遮断して、子供世代に全く新しい倫理を植え付け、さらに新しい倫理を身につけた子どもたちが大人の歪みを矯正するような社会が望ましいようです。

マイノリティが進捗を検証する機関の設置

浅香委員は条例案を高く評価してこういいます。

○浅香委員 本当に未来に明るい条文になっていて、大変結構だなと思いました。でも、そうした条例をなぜつくるのかという背景があまり書かれていなかったような気がしました。

ですから、この条例は、障がい者も含めたマイノリティーを守るための条例ではなく、一緒に生活していくのだよということも含めた歴史的背景も少し入れたほうがいいのかなと感じました。

これを受けて宮入委員は

○宮入委員 マイノリティーと呼ばれるような人たちのように、意見を発しにくい人たちの声をしっかりと拾っていくという仕組みがあったほうがいいのではないかと思います。

そういった方々に定期的に評価を受け、検証する場を仕組みとして持っておくことで、共生社会の進展に向けた市民間のやり取りが担保されるのではないでしょうか。

マイノリティによる条例の検証機関の設置を提言しますが、札幌市の共生社会推進条例は市の民生分野の施策を総括する理念法ですから、その進捗を検証する権限がマイノリティと言われる人々の一部に与えられる。マイノリティに対して建設的な批判も許されない空気感の中で、一部の人たちがとても強い権限を持つことになるのではないかと憂慮されます。

本当の意味の共生社会

牧野委員が「孤独」の話題を出してマイノリティ対マジョリティから話題が変わります。

○牧野委員 高齢者もそうですけれども、ハンディのある人や多様性のある人たちもひっくるめて、共通して言えるのは孤独を感じさせない社会が大切だということだと思うのです。理念の中に孤独を感じさせない社会をつくるというような文言があれば、全部に当てはまるような気がします。

必ずしもハンディのある人や支援の必要な人ではなく、生きていると必ずどこかで壁にぶち当たったり困り事が起きたりしますよね。ですから、特別な人のための共生社会ではなく、全ての人に当てはまることで、何かがあったとき、困ったことを解決してくださるような機関につながることができる、自分が困ってつらいときに聞いてもらえるところがある、助けてくれる人が周りにいるなど、それが本当の意味での共生社会のような気がするのです。

とても大切な視点で、共生社会のあり方がこのような方向で進んでくれることが望まれますが、検討委員会の議論はこうした方向にはすすみません。

マジョリティ・マイノリティですべてを包括

孤独をテーマに共生社会推進条例の議論がいったんマイノリティ・マジョリティから離れたかに見えましたが、梶井座長が半ば強引に話を戻して議論を締めくくりました。

○梶井座長 高齢化社会というのは本当に大事な視点だと思います。その意味では、マジョリティーとかマイノリティーとか、そういう区別すらも無意味になっていくのではないかなと思うのです。みんなが何らかの形でマイノリティーになるという社会が来るのではないかということです。

全てを包括できるような、そして、誰もがアプローチしやすいような条例にしていきたい、それはどういう形かを議論していきたいなと思いました。

子どもというキーワードを随分とおっしゃってくださったわけですけれども、前文は、私たちが目指す共生社会とはこういう社会ですよとするといいますか、子どもたちが、ああ、そうかと分かるといいますか、こういう共生社会を目指し、そのために一人一人が努力し、構築していくのだということが分かるような前文にしていただきたいですね。

梶井座長はまとめとして、マイノリティ対マジョリティの属性分断の価値観で全体を包括するようにもとめて「(仮称)共生社会推進条例の構成イメージ」の議論を終えました。

条例のイメージがはっきり見えた

続いて「ユニバーサル展開プログラム」の原案についての質疑に移りますが、割愛します。最後に登場した山内ユニバーサル推進室長は次のように述べて第2回を評価しました。

○山内ユニバーサル推進室長 目的、そして、基本理念が大事だというお話もありましたけれども、どういう骨格でもってつくっていくかを考えていました。どうしても言葉や文字だけで考えてしまうことが多かったのですが、今日、皆さんから、子どもにも分かりやすい、あるいは、未来に向けた言葉としてしっかりメッセージにするなどといったご意見をいただき、なぜそういうことを盛り込んでいかなければならないかというイメージがはっきりと見えてきたような気がしております。

重要なのは、委員の間で交わされた相当にイデオロギッシュな議論を聞いて、条例を制定する立場の室長が「イメージがはっきりと見えた」と発言しているところです。

2回の議論を通して「はっきりと見えた」のは、札幌市が実現を目指す「共生社会」とは、市民社会がマジョリティとマイノリティという属性で分断される社会であり、市民は自分の中にあるマジョリティ性を撲滅しなければ、その一員になれないということです。

それにしても委員のみなさんのマジョリティ=一般市民に対する敵意はどこから来るのでしょうか?

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