北海道セトラーコロニアリズムに物申す (1)

北海道セトラーコロニアリズム

はじめに

近頃、北海道が何やら騒がしい。若い世代の凄惨な事件が相次いでいるということもあるが、野幌の原始林に聳えたっていた百年記念塔が反対運動もむなしく解体されたのが、忘れもしない、2023年の1月。どうもあのあたりから政治的に不穏な空気が流れ始めてきたような気がする。

喪失感で茫然自失となっていたところに追い打ちをかけるように、「北海道セトラーコロニアリズム」などというテーマのシンポジウムのポスターが目に入ってきた。北海道開拓を植民地支配の歴史と見なし記念塔の解体を祝うという趣旨のようだった。いやな気がしたが、知るのも怖かったので遠巻きに眺めていた。

そこからしばらくたって札幌の地下歩行空間(チカホ)でアイヌパネル展をめぐる大騒動が勃発した。それをめぐるTV報道のなかで、またしても「北海道は植民地で──」などと言っている識者がいるではないか。これを耳にしたとき、これまで逃げていたセトラーコロニアリズム論とやらに向き合わなければならないか、と観念した。

重い腰を上げてセトコロ論論客の代表格である平野克弥の論考(「主権と無主地―北海道セトラーコロニアリズム」、『思想』2022年12月号)を読んでみた。

ずいぶんと小難しい理論の話が最初に出てきて萎えそうになったが堪えた。半分近くは法理論の話だが、少し我慢すると北海道のアイヌ政策について具体的に何を言っているかが見えてきた。おぉ、ちょっとこれは、一介の道民として、事実関係とかどうなのよ~と、ツッコミどころ満載だ。

平野氏は、大学は同志社だが、海外で学位を取りUCLAで歴史学教授を務め、現在は関西外国語大学で教鞭をとる気鋭の学者であるが、この論が海外の研究者にはずいぶんと広まっていることもわかってきた。これは、我々の知らないところで、北海道というか北海道の行政というか、ひいては北海道の開拓事業そのものがずいぶんと悪者にされているぞ。これが史実なら引き受けるが、どうも自分が知っているのとはずいぶん違うことが書いてある。

平野氏は同化政策をとにかくメタクソに批判している。しかも、自分には筋違いと思えるような筋からボロクソの言われようなのだ。ちょっとこれは、自分でも確かめてみないと気がすまなくなった。幸い、時間だけはたっぷりある退職した身の上。

調べれば調べるほど興味深いことがたくさん出てくる。先に言っておくが、調べるほど平野氏の言っていることとは違う事実が見えてくる。北海道の歴史なぞ不勉強だった私だが、この内容は今の状況を憂えている道民たちと共有したいと思うようになった。そこで、素人ながら身の程知らずに、国際的に大活躍の気鋭の論客相手に、反証を提示しながら反論を試みる、という暴挙に売ってでたのである。

(以下、敬称は略させていただく)

平野氏の論考として対象にするのは前記の思想論文と英語の論考(Settler-Colonialism, Ecology, and Expropriation of Ainu Mosir: A Transnational Perspective, in James Beattie, Ryan Tucker Jones, and Edward Dallam Melillo, eds., Migrant Ecologies: Environmental Histories of the Pacific World, University of Hawai’i Press, 2022)も折に触れて扱いたい。

セトラーコロニアリズムって何?――平野論考の理論的な骨組みをかみ砕く

本題(平野論考への反論)に入る前に、まず「セトラーコロニアリズム」というものがどんなことを主張しているのか、そして平野がそれを北海道にどう当てはめようとしているのか、簡単に整理しておきたい。

普通の「植民地支配」とは何が違うのか

セトラーコロニアリズム(settler colonialism、入植型植民地主義)という考え方は、パトリック・ウルフというオーストラリアの研究者らが練り上げてきた理論だ。ざっくり言うと「植民地支配」を二つのタイプに分けて考える。

一つは、いわゆる普通の植民地支配。宗主国が現地に乗り込んで、資源や労働力を吸い上げていくタイプで、この場合、現地の人たちは働き手として必要だから、基本的には生かして使う。搾取はするけれど、根絶やしにする理由はない。

もう一つが、セトラーコロニアリズム。こちらは、入植者が「一時的に搾取に来る」のではなく、「そこに住み着いて、新しい社会をまるごと築こうとする」タイプだ。この場合、入植者にとって欲しいのは現地の人の労働力ではなく、土地そのものになる。そうなると、元から住んでいた人たちは、働き手としてではなく、むしろ土地を使う上での「邪魔者」という位置づけになってしまう。

ウルフはこれを「排除の論理」(logic of elimination)と呼ぶ。搾取して使うのではなく、いなくなってもらう方向に力が働く、という理屈だ。ここで言う「排除」は、単なる追い出しだけでなく、虐殺、強制移住、通婚や同化政策による吸収など、先住民という独自の集団の独自性・固有性が消えていく(elimination、先住民の消去)過程全般を指す、かなり広い言葉として使われている。

実際の事例――アメリカとオーストラリア

ウルフの理論は、机上の空論として出てきたわけではなく、実際にアメリカやオーストラリアで起きたことを踏まえて組み立てられている。

アメリカで、西部開拓の時代にネイティブ・アメリカンと激しい殺戮や抗争、軋轢があったことは、西部劇や映画などから一般にも知られている。暴力や軍事的な衝突だけの話ではない。法制度の面でも、ネイティブ・アメリカンは長いあいだ「自分たちの国の国民」としてすら扱われてこなかった。合衆国憲法の枠組みでは、部族に属する先住民は長らく市民権の対象外とされ、納税や軍役への従事、白人との婚姻、土地割当の受け入れなどを通じて個別に市民権を得た人が、全体の1割にも満たない状態が続いていた。

すべての先住民に市民権を認める連邦法(インディアン市民権法)が成立したのは、ようやく1924年のことである。しかも、この法律は投票権までは保障しておらず、州によっては先住民の投票を認めない状態が1948年まで続いた。要するに、自分たちが元から住んでいた土地の上に成立した国家から、20世紀に入ってもなお「国民」として数えられていなかった、ということになる。

オーストラリアでも、先住民アボリジニに対して、開拓の過程での直接的な暴力に加えて、20世紀に入ってからも「混血」とされた子どもたちを家族から引き離して同化教育を施す政策(いわゆる「盗まれた世代」)が長く続いた。

ちなみに、日本に目を転じると、これより50年以上前、明治政府が1871年(明治4年)に戸籍法を制定した際、アイヌはすでに和人と同じ「平民」として戸籍に編入されている。

もっとも、これは当人たちの意思を確認した上でのことではなく、同化政策の一環として進められたものではあった。だから「日本の方が先住民に寛容だった」という単純な話に回収するつもりはないが、少なくとも制度上の身分としては、アメリカのように先住民を長期にわたって法的に「国民の外側」に置き続けた、というのとは異なる扱いだったことがわかる。

アメリカとオーストラリアは、先住民をその社会の対等な一員としてではなく、法的にも実質的にも周辺に押しやられた存在として扱い続けていた、という点で、ウルフの図式に当てはまる例として挙げられることが多い。

「無主地」という便利な言葉

この排除を法律的に正当化するために使われたとされるのが、terra nullius(テラ・ヌリウス、「誰のものでもない土地」)、日本語で言う「無主地」という考え方だ。

これは、ヨーロッパの近代法思想、特にロックの所有権論あたりから来ている。ロックの理屈では、土地は耕して初めて「その人のもの」になる。逆に言えば、耕さずに狩猟や採集、遊牧で使っている土地は、法律上はまだ「誰のものでもない土地」として扱われる。

だから、そこに人が実際に住んでいて、代々その土地を利用してきたのだとしても、「耕していない」という理由だけで、法律上は無主地として扱われ、後から来た側が「発見」して占有すれば、それが正当な所有になってしまう。

これが、アメリカ大陸やオーストラリアなど、いわゆる入植型植民地でくり返し使われてきたロジックだ、というのがウルフたちの整理になる。

平野は、これを北海道にそのまま当てはめる。

平野の論考の骨組みは、このウルフの図式を、明治期の北海道・アイヌ政策にそのまま重ねる、というものだ。

平野自身も認めている通り、松前藩の時代までは、和人はアイヌとの交易やアイヌの労働力に依存していた。これは、ウルフの言う「普通の植民地支配」のパターンに近い。

ところが平野は、明治政府が近代的な国際法(万国公法)を通じてterra nullius(無主地)という西洋の概念を輸入したことで、話が変わったと主張する。

無主地という発想を手に入れたことで、明治政府は、アイヌが暮らし利用してきた土地を法律上「誰のものでもない土地」として扱えるようになり、そこから、アイヌの労働力をあてにする段階から、アイヌという存在そのものを排除していく段階へと、質的な転換が起きた――というのが平野の中核的な主張になる。

さらに平野は、ここにいくつかの西洋の理論を重ねていく。国家が誰を法の内側に置き、誰を外側に置くかを決める権力についての議論(シュミット、アガンベン)や、人々の生・健康・人口を管理する近代国家の統治のあり方についての議論(フーコー)などを使いながら、明治政府がアイヌをどう位置づけ、どう扱っていったかを説明しようとする。こんなに重厚な理論装置を、北海道という一つの地域の歴史に重ねなければならないのか、というのが率直な印象だ。

ここから先で確かめたいこと

以上が、平野論考の理論的な骨組みだ。次回以降で見ていきたいのは、この骨組を土台とする平野の主張や平野自身が引用している一次史料が、いわゆる「歴史的事実」と実際に噛み合っているのかどうか、ということになる。これは、史料を自説に都合のいい一部だけをつまみ食いするチェリーピッキングになっていないかの検証も含む。

さらに無主地という言葉で北海道の土地を扱おうとした形跡は、本当に一次史料の中に見出せるのか。排除の論理と呼べるような、計画的にアイヌを締め出していく動きは、実際にあったのか。理論そのものの当否には立ち入らず、あくまで「この理論に基づく平野の主張は、北海道の「史実」に当てはまるのか」という一点を、史料に照らして確かめていきたい。

まずは、平野が主張する、ネイティブ・アメリカンへの強硬な対策に辣腕を発揮したことを買われて、開拓使の顧問としてアメリカから招聘されたケプロンが、それを北海道のアイヌ政策に応用したのではないか、という説から検討してゆくことにする。(つづく)

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