北海道経済危機再び
当選とはいえ79万票。最低ラインとされた90万票を大きく下回る不人気。政権与党自民党の幹部、そして道内財界のフルサポートを受けたにしてはものとしては不満な票であったろう。何がこの結果をもたらしたのか。 北海道知事選挙のあった平成15(2003)年4月はどういう時代であったか。
北海道は長い景気低迷に苦しんでいた。『週刊ダイヤモンド』2000年7月1日号は「北海道経済危機再び!」という特集の巻頭で「マイナス成長に逆戻りか 回復から取り残される道経済」との見出し記事は次のように始まる
「去年が底かと思ったら、今年になってもっと悪くなった。まるで底なし沼だ」。道内の経営者の間から一様にこんな悲鳴が聞こえてくる。景気の自立的回復が鮮明になってきたと言われる他の地域とは対照的だ。「道内景気の先行きに依然として明るい見通しは見えてこない。①
そしてこう述べる。
東京商工リサーチ北海道支社の調査によると、今年5月の道内の企業倒産件数は88件。7ヶ月連続して前年同期を上回った。5月の負債総額は約424億円で、件数・負債額とも2000年に入って最悪水準に達している。「全国的に景気回復傾向を示している中で、北海道地区は不況型倒産が高水準となっており、未だ不況の色が濃い」(同社の藤村明宏・情報部部長)①
事実、平成15(2003)年度の『北海道経済白書』(北海道総合企画部経済調査課)によれば、この年度の完全失業率は年平均6・7%で、前年を0.7%上回り過去最高を記録した。通年の倒産件数は687件で負債総額は4497億7200万円で前年よりも52・1%もの増加である。
①『週刊ダイヤモンド』2000年7月1日号・ダイヤモンド社
拓銀崩壊
平成2(1990)年のバブル崩壊後、全国的に「失われた10年」「失われた20年」という景気低迷に日本は苦しんだが、とりわけ北海道が落ち込んだのは、平成9(1997)年11月の北海道拓殖銀行経営破綻の影響が大きい。銀行の負債総額は測りがたいが、『北海道現代史 資料編2』によれば拓銀の公表数字では9349億円、さらに日銀の考査資料では実に1兆5000億円に上った。
拓銀破たんと同時に系列のノンバンク2社たくぎん抵当証券(負債額5391億円)、拓銀ファイナンスサービス(同2157億円)が破たん。その後もたくぎん保証、たくぎんキャピタルなどの関連会社の倒産が相次いだ。
拓銀本体が倒れると、融資を受けていた企業に波及する。テレルメインターナショナル、エイペッス、ニドム、ナカムラ興産、北日本国土開発など、拓銀破綻の原因となったリゾート会社、デベロッパーがすぐに倒れた。
続いてモリショー、天塩川木材、函館製網漁具、拓銀と深い関係にあった老舗企業が破産や和議に追い込まれる。さらに連鎖は、丸井今井・地崎建設など北海道の顔であった企業に及ぶ。平成10(1998)年の道内倒産件数は1000件を超えた。湖面に投げた石の波紋が広がるように破たんの影響は広がり、歯を食いしばるように経営を続けてきた企業がここにきて息を切らしたのである。
過去最高失業率

【表1】①は平成2(1990)年から平成18(2006)年までの北海道における行政投資額の推移である。行政投資額とは公共事業の総額だ。平成2(1990)年のバブル崩壊後、景気刺激策として平成3(1991)年から平成10(1998)年まで公共事業が増加したが、この後大きく落ち込む。北海道だけの傾向ではないが、公共事業依存が高い北海道では他府県よりも影響が大きかったのだ。
前述の『週刊ダイヤモンド』「北海道経済危機再び!」はこう述べている。「とりわけ、倒産件数の半分を占めている建設産業が厳しい環境にさらされている。『道内の市町村はもともと財政が弱いが、ここにきて道庁はかなり絞っており、下期以降はこの反動がくる。中小下請け企業の工事不足感はますます強まるだろう』(北海道銀行地域企業経営研究所の松本則栄・経済調査室長)」。この見通しの通り、知事選の年は通年で過去最高の失業率となったのである。
①『平成18年度行政投資実績』平成21年2月 総務省自治行政局地域振興室
官依存からの脱却
さて改めて平成15(2003)年知事選での高橋候補の打ち出しをみてみよう。『財界さっぽろ』2003年4月号の知事選特集で、高橋候補は「有権者にまず何を訴えていくのか」という質問に対してこう答えている。
北海道の一番の課題である経済の立て直しに尽きると思う。私が北海道に赴任(道経済産業局長)した日、2001年1月6日は北海道開発庁が国土交通省に統合された日でもあります。
ある意味では、公共事業一辺倒の経済からの脱却を迫られた象徴的な出来事でした。公共事業依存、官依存から自分でビジネスチャンスをつかむ、自分で仕事を取ってこないとならないという転換点になった日だと思います。
これまで私は自主自立のお手伝いを国の立場からしてきたが、これからはそれを本格的にやっていきたい。道民の方々の意識改革も直要だと思います。自らチャレンジし、自ら努力する、そういう意識改革を道庁が訴えかけていきたい。①
5年連続で公共事業が減らされ、北海道経済は青息吐息のところに「官依存から自分でビジネスチャンスをつかむ、自分で仕事を取ってこないとならないという転換点」と言われても酷というものだ。この時、高橋はるみ氏は北海道を理解していなかった。
①『財界さっぽろ』2003年4月号・財界さっぽろ
中央官僚か地元出身か
一方、他の候補たちはこう訴えた。前出の『財界さっぽろ』の同じ特集で磯田憲一候補はこう訴えた。
北海道はいま長引く経済の低迷、雇用環境の悪化などで、ともすれば閉塞感や焦燥感にとらわれがちです。しかし、食料自給率180%に象徴される農業や、農から森と海、近隣諸国にも類を見ない美しい景観といった北海道の可能性を見つめ、時代の風を呼び込みながら北海道が一つになって立ち向かっていけば、必ずや活路は開ける。むしろ内外から憧れを持って見られる「希望の島」になり得るということを道民の皆さんに訴え、ともに立国の気持ちを持ってその実現に挑戦したい。①
酒井芳秀候補は
北海道を元気にできるのは私しかいない。北海道四代目の私は、祖々父母や祖父母、あるいは父、母の頑張りを聞き、また見てきたし、私自身も作業服を着て国道現場でホコリにまみれて頑張ってきた。この厳しい北海道の何年間は、そういう体験を持つ地場の人間にやらせてもらいたい。①
と北海道を理解するのは北海道生まれの自分であると訴えた。
民主党の鉢呂吉雄候補ですら
北海道で生まれ育ち、道民の皆さんに支えられ国政に参画した四期十三年の経験を生かし、身近な生活レベルのものをつくり変えていく中で、北海道らしい特色ある地方政治を展開します。『すばやく決断、現場主義』をモットーに、私の全てをかけて取り組む。①
と道産子であることを強調した。
北海道新聞情報研究所の『主役交代─ひと目でわかる北海道政治地図2004─』は、この知事選が「政党か脱政党か」「官出身か民間出身か」「中央官僚か地元出身か」の3つの対立軸が浮き彫りになるにつれ、高橋候補への求心力が失われていったとみる。
かくして選挙が終わり、高橋はるみ氏は直前に支持を表明した公明党に助けられて北海道知事となった。
①『財界さっぽろ』2003年4月号・財界さっぽろ
小泉政権の総意
一般に高橋はるみ氏は町村信孝氏が引っ張り上げたと言われることが多い。たしかに高橋氏のインタービューでも、また北海道新聞の「候補の一人に浮上した前道経済産業局長の高橋はるみ氏に対し、自民党本部の町村信孝総務局長が近く出馬を打診することが八日、明らかになった」(2003年01月08日夕刊)との報道でも町村氏が強く働きかけたことは疑いがない。
しかし、町村氏の打診の後に衆議院議員の中川昭一氏、武部勤氏が働きかけている①。『財界さっぽろ』は「高橋選挙の事実上の最高責任者である武部勤」としている。この時、中川昭一氏は自民党組織本部長であり、知事選の5カ月後には小泉純一郎内閣で経済産業相に就任した。
町村信孝氏は自民党総務局長であり、平成16(2004)年9月に小泉改造内閣で外務大臣の要職に就いた。武部勤氏は小泉内閣の農林水産大臣であり、町村氏が外務大臣になったときの改造で自民党幹事長となった。小泉首相とのコンビで「聖域なき改革」を推し進めたことは誰もが知るところである。
このような陣容を見ると、高橋氏の起用は町村信孝氏一人の考えではなく、小泉政権の総意であったと見た方が良い。『財界さっぽろ』で「町村先生は役所(旧通産省)に入って以来からのお世話になっている大先輩です」①と高橋氏が言っているように、町村氏が最初の声かけ役に選ばれたのは経産省の先輩後輩という理由だったのだろう。こうしてみると、高橋候補の豪華な応援団もうなづける。
①『財界さっぽろ』2003年3月号・財界さっぽろ
聖域なき構造改革
平成13(2001)年4月26日、小泉純一郎氏が第87代内閣総理大臣に就任した。前任の森喜朗政権の旧態依然とした政治運営がマスコミの不興を買い、支持率一ケタ台に低迷する中で小泉氏は「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」をスローガンに改革派イメージを打ち出し、4月24日に行われた自民党総裁選で、橋本龍太郎氏、亀井静香氏に大差を付けて当選した。
同月26日に行われた組閣では、北海道から武部勤氏が農林水産大臣に選ばれたほか、民間選出の経済財政政策担当大臣として、当時マスコミで引っ張りだこだった竹中平蔵慶応大学教授の存在が注目された。
小泉首相の政治姿勢は、同年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」によく示されている。竹中大臣が主導してつくられたこの部署には『骨太の方針』との別称が与えられた。内閣の経済社会の施政方針を示す文書として現在も続いているが、その最初がこれだった。
最初の2001年版はこう始まる。
創造的破壊としての聖域なき構造改革は、その過程で痛みを伴うこともありますが、構造改革なくして真の景気回復、すなわち持続的成長はありません。
おそれず、ひるまず、とらわれず
まず、不良債権問題を2~3年内に解決することを目指します。それと同時に、構造改革のための7つの改革プログラムをパッケージで進めます。したがって、今後2-3年は日本経済の集中調整期間です。短期的には低い経済成長を甘受しなければなりませんが、その後は経済の脆弱性を克服し、民需主導の経済成長が実現されるでしょう。
そこでは、国民が自信と誇りに満ち、努力した者が夢と希望をもって活躍し、市場のルールと社会正義が重視されます。また、それは誰もが豊かな自然と共生し、安全で安心に暮らせるとともに、世界に開かれ、外国人にとっても魅力を感じる社会でなければなりません。新世紀維新が目指すのは、このような社会です。①
ここで小泉政権は、小泉改革は創造的破壊であって、痛みと低い経済成長を甘受しろと国民に呼びかけている。票の欲しい政治家がここまで言うのは異例なことだ。
①「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」2001・3・26
さらなる痛みと破壊へ
高橋氏が知事に当選した平成15(2003)年版の『骨太の方針2003』では、聖域なき構造改革の各論により踏み込んでいる。地方自治の領域では、
「構造改革の基本理念は、「改革なくして成長なし」、「民間でできることは民間に」、「地方でできることは地方に」という方針に集約される」と述べた上で、地方自治の領域には「①国庫補助負担金の改革」「②地方交付税の改革」「③税源移譲を含む税源配分の見直し」を内容とする「三位一体の改革」を打ち出した。
「三位一体の改革」は、財源を地方に移して地方分権をすすめる触れ込みであったが、財源移譲は遅々として進まず、①の国庫補助金、②地方交付税の削減だけが大胆に進んだ。これにより地方で財政難が深刻化した。
道内政界の強い反発を押し切って高橋はるみ氏を担ぎ出した道内選出国会議員の町村・中川・武部の3氏は揃って小泉純一郎政権の中核的幹部であった。であれば、高橋氏の擁立は、小泉改革を北海道にロードするための小泉内閣の強い意向ではなかったのか。事実、高橋氏の選挙選での訴え「公共事業一辺倒の経済からの脱却」は、小泉改革のスローガンときれいに符合する。
改めて表1を見ると北海道における行政投資額、すなわち公共事業の総量が大幅に減っていることが分かる。下表①は北海道開発予算の推移である。赤枠を高橋知事の任期、青枠を小泉純一郎政権で示した。
これを見ると、高橋氏が知事に就任した平成15(2003)年度から1期目の終わりの平成18(2006)年度にかけて、8172億円から6899億円へ、実に1273億円もの減少である。なかでも小泉政権下での減少が著しい。北海道知事の管轄ではないが、北海道に与える影響は大きく、これほどの削減は北海道知事の同意と理解がなければできないことである。

拓銀破綻後の景気低迷が続いている北海道に、小泉政権は「おそれず、ひるまず、とらわれず」に「創造的破壊」を進めた。これを道民の反発、自民党からの離反を招かずロードできる人材として高橋氏が選ばれたと考えて間違いない。
さらなる痛みと破壊──新しい北海道知事は道民であってはならなかった。高橋氏の〝さわやかな笑顔〟が必要だったのだ。「高橋はるみ」とは、『骨太の方針』流に言うなならば、小泉改革のための、「北海道の創造的破壊者」であったと評することができる。
さて、令和7(2025)年12月19日、北海道は11月末の住民基本台帳を集計して、北海道の人口が499万9439人になったと発表した。北海道の人口は昭和32(1957)年当時に戻ったのである。下図②はこのことを伝える北海道新聞記事に掲載された人口推移のグラフだが、枠で高橋道政の16年を重ねてみた。われわれは今、高橋道政の16年は何だったのか、考える必要がある。

①『北海道開発局70年史(全編)』第4章資料編
②北海道新聞デジタル『北海道内の人口500万人割れ 68年ぶり 11月末499万9439人』2025年12月19日 10:25(12月19日 18:59更新)https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1254203/?utm_source=doshin_digital&utm_medium=internal&utm_campaign=recommended_news
