北海道百年記念塔は、建立から50年で老朽化と維持コストを理由に解体された。解体・存続に向けた検討は公式には平成28年の「北海道の歴史文化施設活性化に関する懇談会」から始まり、平成30年12月の解体決定まで、有識者会議やアンケート、ワークショップ、塔の状況調査などが繰り返された。
私たちは、百年記念塔の解体は、遅くとも平成27年段階には道の内部で決定しており、その後の調査や検討は解体を既成事実化するためのアリバイづくりと見ているが、高橋道政の16年を振り返ると、内部決定を隠したまま、努力のそぶり、道民の声を広く聴くポーズを見せて世論をかわす手法は記念塔が初めてではなかったことが分かる。
ここで取り上げる事例は、平成18(2006)年4月に廃線となった「ふるさと銀河線」である。
日本最長の第三セクター鉄道
ふるさと銀河線(以下「銀河線」)は、北海道と北見など沿線1市6町が出資して設立された「ちほく高原鉄道株式会社(以下「高原鉄道」)」が運営する第三セクター鉄道である。営業キロは140㎞に及び、開業時には日本最長の第三セクター鉄道だった。
明治44(1911)年に現在の北見まで開業した池北線(開業時は網走線)が、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化にともない鉄道施設ごと地域に譲渡されたものである。オホーツク圏と十勝圏を結ぶ唯一の鉄路として存続を求める地域の声は強く、廃線が予定されていた「国鉄長大4線」中で、もっとも営業成績の良い池北線は「一線だけは残したい」という横路孝弘北海道知事の意向もあって、道のプランにより第三セクター転換が行われた。
もともと廃止予定のローカル線であり、鉄道営業のみで維持できる路線ではない。そこで、沿線自治体の補助金と、国鉄清算事業団から沿線自治体に支払われる転換交付金、北海道と沿線1市6町が出資する積立金のあわせた81億500万円を経営安定基金として運用し、その益金で鉄道事業の損益を埋めるスキームであった。
開業時の事業計画では、経営安定基金の利率を5.5%、鉄道事業の年間損益を5億5000万円と想定した。鉄道車両と施設を無償でJR北海道から譲渡されたこともあって、たとえ鉄道事業が赤字であっても、年間5億円を継続的に超えなければ、営業は継続できる計画となっていたのである。
実際、営業収益は開業二年目をピークに減少傾向を示したが、営業損益は平成5(1993)年度の5億4112万円をピークに下がり、平成14(2002)年度でも4億536万円であった。事業計画を超える赤字は廃線まで無かったのである。
①『北見現代史』(2006)
②『ふるさと銀河線10年のあゆみ』(1999)
銀河鉄道が結ぶ交流圏
ふるさと銀河線は、そのネーミングから宮澤賢治の童話「銀河鉄道の夜」や松本零士氏のアニメ「銀河鉄道999」のファンを惹きつけた。
沿線自治体は、銀河線に合わせて駅舎のリニューアル計画を打ち出し、本別駅「ステラプラザ」(平成3年)、陸別駅「オーロラタウン93」(平成年)、足寄駅「銀河ホール21」(平成6年)、置戸駅「コミュニティホールぽっぷ」(平成8年)、訓子府駅「くる・ネップ」(平成12(2000)年)と、沿線の風景を一変させた。①
平成14(2002)年には、「銀河鉄道999」の主人公鉄郎とメーテルを描いたラッピング列車が登場して人気を集めた。銀河鉄道を運営するちほく高原鉄道の社員が作者の松本零士氏の自宅を訪ねて原画の使用をお願いすると、松本氏は意気に感じて書き下ろし作品を提供してくれたのである。②
さらに沿線では官民が共同して、利用促進のためのイベントやプログラムを開発し、支庁の垣根を越えた「銀河鉄道」というイメージを共有する広域交流圏が登場しようとしていたのである。
①『ふるさと銀河線10年のあゆみ』(1999)
②北海道新聞2002/10/2
経営危機と民間提案
開業から平成4(1992)年度までは、当初計画を上回る運用実績を挙げていたが、バブル崩壊後の景気後退が鮮明になった平成3(1991)年から日本銀行は低金利政策に舵を切り、平成11(1999)年には「ゼロ金利政策」と呼ばれる超低金利を導入した。
経営安定基金の運用益は激減し、ふるさと銀河線の経営危機が叫ばれるようになった。平成15(2003)年3月、北海道と沿線自治体1市6町および関係機関は、存続を巡る諸問題を協議する「ふるさと銀河線関係者協議会」を設置する。①
マスコミを通して銀河線の危機が知られると、存続に向けたさまざまな運動、取り組みが立ち上がった。
留辺蘂町の元収入役で画期的な「愛町債」を考案したことで知られる中川功氏は、このときの経験を基にした「ゼロ金利債」と呼ぶ仕組みを考案した。さらに留辺蘂町21世紀まちづくり推進室の矢崎秀人ら役場職員は、中川氏の構想に地域通貨を組み合わせて、経営安定基金に代わる支援スキームを形にした。②
一方、西淳二元名古屋大教授が代表を務める「ふるさと銀河線応援団」は銀河線の高速化を提言した。JR北海道では振子列車の導入により特急の大幅なスピードアップを果たしていたが、道央圏とオホーツク圏を結ぶ石北線には構造上この列車を導入できないため、銀河線に振子列車を導入して高速化を果たそうというものである。③
①『北見現代史』(2006)
②北海道新聞2004/12/19
③北海道新聞2003/10/29
DMVの可能性
この頃、銀河線関係者はJR北海道が開発したデュアル・モード・ビークル(DMV)と呼ばれる車両に熱い視線を注いでいた。マイクロバスの足回りに特殊なシャーシを取り付け、鉄路と道路を自由に行き来できる車両である。
道路と鉄路を走ることの出来る車両は従前からあったが、DMVが画期的だったのは、道路から鉄路へのモードチェンジが約10秒で完了する迅速性、そして市販のマイクロバスを活用したことによる1台2000万円程度という低コストだった。
DMVは、赤字ローカル線が大半を占める北海道で鉄路を維持するための新技術として、振子列車を開発した同社の柿沼博彦氏をリーダーとするチームが平成14(2002)年から開発を始め、平成16(2004)年4月に札沼線で報道陣向けの試験運行を行ったことで注目を集めていた。
鉄道事業において車両費が経営に占める割合は大きく、銀河線でも経営のネックになると見られていた。加えてマイクロバスのボディを使ったDMVは格段に維持管理費が低廉だった。さらにデュアル・モードを活かして道路と鉄路を併用するこれまでにない運行ルートも可能だ。
赤字ローカル線に悩む全国の地方からの注目も高く、銀河線で初めて実用運転ができれば、乗車率の向上にもつながったことは疑いない。
①『JR北海道20年のあゆみ』北海道旅客鉄道2007
銀河線特区
ふるさと銀河線の存続を求める市民団体は、平成16(2004)年4月に「ふるさと銀河線存続運動連絡会議」を旗揚げし、DMVや「ゼロ金利債」などの支援策をパッケージにして、同構想の実現に予想される規制を緩和する特区を沿線に設定するよう同年11月末に政府に構想書を提出した。①
同連絡会議の顧問に就任した中川功氏は、留辺蘂町役場時代に金利ゼロのミニ公募債「愛町債」を計画した実績がある。総務省から「市場の混乱を招く」と言われて計画は頓挫した。連絡会議の構想はさまざまな規制に触れる可能性が高いだけに、「愛町債」の経験から道に正式提案する前に、政府の構造改革特区のお墨付きを得ようとしたのだろう。
12月3日に行われた構想を政府に提案したことを発表する記者会見で、連絡会議代表の河瀬洋美陸別町議は、構想に必要な自治体負担は1億円程度、住民一人当たりの負担は「おにぎり一個分」と胸を張った。②
銀河線を守ろうと北海道の「民」は熱く立ち上がったのである。
①北海道新聞2004/07/18
②北海道新聞004/09/08
(つづく)
